1952年当時、増沢先生はアントニン・レイモンド建築事務所のスタッフでした。
この頃たまたま住宅金融公庫の融資に当選し、その資金で建てたご自身の木造住宅がデビュー作品で、打放しコンクリート建築ではありませんでした。 その小住宅のコンセプトは日本の木造建築の伝統的手法に和の雰囲気を漂わすモダニズム建築。 しかも近代建築の理念である合理的且つ機能的なものに同化させることで建築界に新風を吹き込んだとされ評価されました、当時若輩の26才。 1956年増沢先生はアントニン・レイモンド建築事務所より独立。 目的は母校である成城学園の設計に専念する為で、1957年増沢先生は打放しコンクリートによる成城学園を、次いで翌年には成城大学新館を建てられました。 何れの作品も日本を代表する打放しコンクリート作品に選ばれています。 この頃、日本は神武景気といわれ戦後の貧しさから脱却、電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビなど文化生活の必需品と位置づけられ家庭での三神の神器といって沸き立った時代でもありました。 同時代 前回ご紹介した菊竹清訓先生、丹下健三先生など著名な打放しコンクリート建築が目白押し、まさに打放しコンクリート建築の全盛期。 なお、増沢先生は1990年65才の若さで逝去されました。 ご冥福をお祈り致します。 次回をお楽しみに。
by pikayoshi72
| 2006-05-15 07:15
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