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「打放しコンクリートと共に」 その(59)

こんにちはpikayoshi72です。

今回は建築仕上げ技術1993年8月号、学会賞受賞者対談「打放しコンクリート面の生と命」の第4回目、「事なるは困苦の時」をご紹介します。

事なるは困苦の時
地濃◇打放しコンクリート面の再生技術・工法は、この分野での先駆的な技術・工法のように思うのですが、きっかけはどのようなことにあったのですか。
吉田◇今から35年も前のことです。町役場庁舎の新築現場で、打放しコンクリートの柱脚部に発生した欠陥部の巣穴に、偉く困っていた現場監督を目の当たりにしたのです。問い尋ねたところ、熟練職人でもこの種の欠陥部を完全に直せないと言う返事。このことがきっかけでした。
地濃◇それをあえて企業化したことの発想や着眼点はどんなところにあったのですか。
吉田◇左官業界では左官職人のやる仕事ではないとして、手を付けていなかったこと。簡単な補修と甘くみて、その結果が異質な仕上がりになっていること。単価があって無きに等しい仕事であったこと。などから考えて挑戦した訳です。そして、ビジネスとして成功するには、人のできない仕事をすることが基本ですし。
地濃◇要するに、伝統的な左官技術ではなく、方法のいかんを問わず結果がよければ良いと言う発想からですね。
吉田◇そうです。既存の枠にとらわれることなく、「結果がよければ良し」との考えの基に、独自にこれに臨みました。ですから、開発してきた工法は、研究室で実験を繰り返して得たものではなく、あくまでも現場でそのつど、素直に身に付けた技術と知識の積み重ねによって築き上げてきたものなのです。
地濃◇極めて純粋な発想であり着目点のように、私には受けとめられますが。
吉田◇二十歳の若き頃、私は挫折の状況下にありました。どん底に落ちていたような気がします。そのとき、ショー・ペン・ハウエル著の「存在と苦悩」の本に出会いました。
 この書は、氏の人生論を説くもので、虚栄とは愚かな行為。虚栄心は自分を見失っていることだ。世間に対して生きるのではない。自分を飾らず裸になれ。と言うようなものでした。ことのほか、これに共鳴したように思います。
 この人生観が後の生活や創業後の心の糧となったのかも知れません。
地濃◇まさしく、「事なるは困苦の時」。そして、今日の発展に「人の行く道に花なし、行かぬ道に花あり」の言葉が当てはまるようですね。
吉田◇人間は幸福の時は時間に追われ、不幸の時は時間が余る。若き青春の頃でも、私には時間が余るほどでしたからね。困苦の時に出合った一冊の本に支えられ、また、人の行かぬ道に花があったとも言えるのでしょうね。
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次回は建築仕上げ技術1993年8月号、学会賞受賞者対談「打放しコンクリート面の生と命」の内、「まごころ込めてすぐ対応」をご紹介します。

それでは次回をお楽しみに!

 この年の重大ニュースとして、3月6日、東京地検が金丸元自民党副総裁を脱税容疑で逮捕しました。金丸信・前自民党副総裁と元秘書を脱税容疑で逮捕。ゼネコン各社などから寄せられた献金を税務申告せずに金融割引債を購入したというもの。 13日、起訴となりました。

打放しコンクリートについてもう少し詳しく知りたい方はこちらへどうぞ!
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by pikayoshi72 | 2009-02-23 07:22 | ブログ

「打放しコンクリートと共に」 その(58)

こんにちはpikayoshi72です。

 今回は建築仕上げ技術1993年8月号、学会賞受賞者対談「打放しコンクリート面の生と命」の第3回目、「再生する心は型わくへの供養」をご紹介します。

再生する心は型わくへの供養
地濃◇経年劣化した打放し建築で、型わく模様が消えて砂じまが現れたもの。黒く汚れた壁面。鉄筋が顔を出し錆汁を垂らしているもの。雨水の痕跡が汚れを助長しているものなど、いずれともみすぼらしいものがありますね。
吉田◇型枠模様が消失した表面は、モルタル仕上げと同じようになり、味気ないですね。
 一説には、これが自然と共に朽ちていく打放し建築の姿であり、これも良しとする考えもあるようです。しかし、建築の使命から考えれば首をかしげたくなりますが。
地濃◇建物を健全に維持していくことは社会資本の蓄積でもあると思うのです。また環境保全の立場からも。この種の仕上げ面を補修するとか再生するとかは、極めて重要なこととおもいますね。
吉田◇私どもは再生と言う観点から、打放し仕上げ面の維持・保全に30余年取り組んできまた。
 経年劣化した表層部の素地の調整から最終工程の超耐候性防水仕上げまでの一貫したシステムを確立し、特に型わく模様の復元に思いを込めています。
地濃◇思いを込めていると言いますと?
 先ほど話されていた、いかにしてそこに生命を宿すか。つまり、「生命はある個体に宿るにすぎない。個はやがて滅び死ぬ。しかし、生命は生きながらえて永続する」と言うことですね。
吉田◇そうです。
 脱型後に捨てられた型わく。コンクリートの転写によって命をなくした木。
 型わく模様の復元に思いを込めることは、彼らへの墓参りなのです。型わくへの供養なのです。型わく模様をその思いで一つ一つ描くのです。描いたもの全てが異なるから生命力を持つものになる。それが再生です。私どもの理念は再生することにあるのです。
地濃◇確かにそのように思います。
 工業的な型台でのプリント造形ではパターンが同一ですよね。これでは自然の風味は得られない。型わく模様の復元は、手作りの心で、甦る再生技術と言えますね。それゆえに苦労も多いのでしょうね。
吉田◇型わく模様を一つ描くにしても、それはコンクリートの顔色に合わせたものでなければなりません。ところが、コンクリートの顔色はセメントや砂の違いで全国各地みな異なるのです。顔色は現場に出向いて初めてわかる。適切な調合や技術を要することになる。色彩、質感を変えることなく再生し耐久性を付与することが苦労の一つです。
地濃◇コンクリートを製造する過程で、試し練りと言うのがあります。
 セメントは工業製品ですから、全国各地、どこで用いてもそうは品質が変わるものではありません。ところが、砂、砂利に至っては品質はまちまちです。これらを練混ぜるのですから異なるコンクリートができあがるのは当然。その上、水和反応によって育っていくため、不確定要素が実に多い材料です。
 目的に応じるコンクリートを得るためには、試し塗りによって調合を見出す訳ですから、これと同様、その調合管理や技術のご苦労は手にとるように良くわかります。
吉田◇ところ変われば品変わる。セメントで造りだすものは生き物ですから、生まれ育つ環境に大きく支配される。実に個性あるものですね。
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次回は建築仕上げ技術1993年8月号、学会賞受賞者対談「打放しコンクリート面の生と命」の内、「事なるは困苦の時」をご紹介します。

この年の重大ニュースとして1月15日、北海道釧路沖で地震発生。そして7月12日、北海道南西沖地震、北海道から東北地方を中心とした「北海道南西沖地震」が発生しました。北海道の奥尻島で津波と大火事があり壊滅状態となり、死者・行方不明者239名を出す大惨事となりました。

それでは次回をお楽しみに!

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by pikayoshi72 | 2009-02-16 07:31 | ブログ

「打放しコンクリートと共に」 その(57)

こんにちはpikayoshi72です。

今回は建築仕上げ技術1993年8月号、学会賞受賞者対談「打放しコンクリート面の生と命」の2回目「型わく模様は生命の移植」をご紹介します。

型わく模様は生命の移植
地濃◇コンクリートは、自然あるいは社会の脅威に雄々しく立ち向かって、その役割を演じてきていると思います。しかしその反面、自然との融合を隔絶させてしまった。そのコンクリートに私どもは関わっているのですが、専門のコンクリート打放し仕上げについて聞かせてください。
吉田◇打放しコンクリートの特徴は、なんと言ってもコンクリート表面に鮮明に残される型枠模様だと思います。
 一つ一つの型枠の模様がコンクリート面に転写される。それは無機質なコンクリートへの生命の移植であると、私は捉えています。自然界で生きながら得てきた杉や檜が、型枠を介してコンクリート表面に宿り、コンクリート表面に自然が取り込まれる。このことが、人々に優しさと潤いを与えていると思うのです。
地濃◇木の命がコンクリート表面に宿ると言うことは、打放し建築も見方によれば、木の文化と
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吉田◇そうだと思います。
 型枠の脱型により、生命の移植を受けた打放し建物が自然の中で調和し、生きている木のように、長く生きながら得て欲しいと望みたいのです。
地濃◇コンクリート自身も生き物です。生まれた時の環境や育ち方によって千差万別。たくましく育つものもあればひ弱いものもあります。特にその違いは表層部に表れやすい。
 型わく模様を鮮やかに転写したいことや、角をきちんと起こしたいために、セメントペースト量の多いコンクリートが供給される場合も多いと思うのです。これでは、ひ弱な表層部になってしまう。
 また、成功か失敗かは全てが一発勝負のコンクリート打放し仕上げ。だからこそ、仕上げ面の意匠性や耐久性に関わる技術が求められることになるのですが。
吉田◇私どもは以前から、その仕上げについてお手伝いしてきました。
 不幸にして生命の移植ができなかったジャンカやコールドジョイントなどの欠陥部に対して、安易な補修を施すのではなく、いかにしてそこに生命を宿すか。自然界の生命あるものに近づけるか。これが、私どもに与えられた使命だと謙虚に受けとめて、このことを根底に、いたわりと真心で、魂を入れるための独自の工法を開発し臨んできた訳です。
地濃◇仕上げ面が長く生きながらえるためには、耐久性と言う観点からの事前対策も必要になってきますね。
吉田◇事前対策を考える場合、表層面からの水分や炭酸ガスなどの浸透をいかに長期間阻止することができるかがポイントのように思います。
地濃◇防水効果をねらって、撥水材を塗布しているケースもあるようですが。
吉田◇簡易な撥水材では数年先にはその効果は低下するようなこともあって近年、フッ素樹脂系やアクリルシリコン樹脂系の耐候性塗材が取り上げられてきました。しかし、打放し面の生命である意匠性と質感を著しく阻害するヌレ・ムラが生じることがあるのです。
 そこで、私どもは研究を重ね、これを解決。打放し面の意匠性を損なうことなく耐久性を付与することに成功したのです。
言えそうですね。
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地濃◇打放し建築の意匠性の保護と耐久性の向上に道が開けたと言える訳ですね。
潤いある美しい肌は健康な肉体に宿る。
いずれにしても、打放しコンクリートの基本はここにあると思うのですが。
吉田◇そうだと思います。
 健全な低スランプのコンクリートを打ち込む。コンクリートを十分つき固め、適切な養生を施す。打放しコンクリートの基本は密実なコンクリートにあるようですね。

 次回は建築仕上げ技術1993年8月号、学会賞受賞者対談「打放しコンクリート面の生と命」の内、「再生する心は型わくへの供養」をご紹介します。

 この年の重大ニュースとして 1月19日、皇室会議にて全員賛成で、皇太子浩宮徳仁(なるひと)と外務省職員だった小和田雅子さんとの婚約が成立しました。4月12日には「納采の儀」(結納にあたる儀式)が行われ、6月9日に「結婚の儀」とあいなり、皇居から東宮仮御所までパレードが行われ19万人の人出があったそうです。

 それでは次回をお楽しみに!

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by pikayoshi72 | 2009-02-09 08:30 | ブログ

「打放しコンクリートと共に」 その(56)

こんにちはpikayoshi72です。

今回は建築仕上げ技術1993年8月号、日本建築仕上学会・学会賞受賞者対談と銘打って「打放しコンクリート面の生と命」を6回に分けご紹介します。本日はその第1回目「自然との融合・融和」をご紹介します。
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自然との融合・融和
地濃◇一文字瓦の勾配ゆるやかな屋根。その数寄屋づくりのたたずまいに木々の緑が実に良く映えますね。
 丈15mほどの黒マツ・赤マツ、雄大で色鮮やかなもみじ、つくばいに滴る水の音、セミの声、風に揺らぐしだれもみじ、木々の間からの心地よい涼風・・・・。いつしか忘れかけていた自然、それを享受できる。そんな思いがしますが、このような空間づくりをご自宅に求められたことには、何か強い思い入れがあったのでしょうか。
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吉田◇人間も自然界においては、一動物に過ぎないと思います。だから、可能な限り自然環境に溶け込む。朝日を迎え、夕日を送る。自然界から与えられる喜怒哀楽を素直に受けとめる。そこに快適な生活が生まれるのではないかと。したがって、自然環境下の木々の中に生活の場が設けられるのが本来の姿のように私には思えたのです。
 そこに、遠州・三方原台地の自然林のこの地に、これを具現化した訳です。黒マツや赤マツなどは当時からの自然林なのです。
地濃◇アメリカ西海岸のペブルビーチ界隈の別荘地を旅した時、目にした光景は、家や人は自然界のリス程度の大きさでしか見えませんでした。風光明媚な地なのに、家や人はぽつり、ぽつり。なぜなのだろうかと思い、尋ねてみましたところ、自然界の樹木が立枯れしない限り、購入した土地といえども、新築や増築はできないということでした。
 まさしく、自然環境を尊重し、そこに人間が溶け込むべきことの考え方のようです。
吉田◇自然を壊さないで自然の中に建物を造る。すばらしいことですね。ところが、自然を従とするような考え方だと自然破壊、環境破壊が生じてしまう。このようなことを無限に広げていくと、人間らしく生きるための環境を失い、やがては人類が滅亡してしまうと言うことになりますね。
地濃◇その通りだと思います。我が国では国土が狭いと言うこともあってか、自然を従とするような建物づくりが多い。本末転倒なことですね。
吉田◇自然界の草木や鳥類の営みに接していれば、無意識のうちに何かを感受している。その何かが新しい発想を生み出してくれるのではないでしょうか。
 自然環境下に身をゆだねていますと、自分の強さや弱さが見えてくる。そして、自然の勢いが明日への活力を呼んでくれるような気さえします。緑のフレッシュエアーとでも言えるものでしょうか。なにしろ、日常の仕事に没頭している者にとっては、無機質化した精神状態になりがちです。自然との融合はとても大切なことのように思えるのです。
地濃◇日本人は元来、恵み豊かな森林風土の中で、自然と融和することに幸せを実感してきたと思うのです。近くの川で魚を釣り、裏山で山菜を採る。住まいにしても同じことが言えたのでしょう。山の中で呼吸をしてきた生命ある木を、木の持つ性質を損なうことなく活かして、柱や梁と言う形でそれを組み立て、その空間の内と外で人と自然がうまく融合すると言うように。
吉田◇言い換えれば、日本の木の文化と言えるものでしょうね。
地濃◇木が主となることの意味での漢字が柱。柱と柱のあいだが間。そして間という文字からできている言葉に、間取り、間合い、間違い、間引き、間もなく、間に合う、間抜け、間尺、間仕切り・・・・。
 このように、「木」を基点とした言葉がたくさん見受けられます。このことからも木の文化を象徴していることがうかがえますね。
吉田◇確かにそうですね。言葉ひとつにしても、日本人の暮らしの中で、木との関わりが大きいことがよくわかります。
地濃◇それに関連して、「風」からできている言葉もたくさんありますね。風光、風味、風景、風潮、風流、風情・・・・。
吉田◇これも、自然との融合から生まれた言葉でしょうね。風という字からも、自然の尊さやありがたさを教えられるような気がします。
地濃◇ところが今日に至っては、大都市の過密化や地方都市の近代化によって、自然との融合がめっきり減少してきましたね。
吉田◇都市においては、「コンクリートジャングル」とか「グレーの街が色を欲しがっている」とかの言葉が生まれるくらい、木造がコンクリート造の建物に変わってきた訳ですからね。
地濃◇特定な場所に、しかも限られた土地に人々が集中し生活を営むには、横に縦にと重なり合って生活せざるを得ない。このような都市環境下の建物は、必然的に、ものを遮断することのできる材料で構成された建物でなければなりません。
吉田◇それは、外界の熱、音、光、風、水など完全に遮断し、地震や火災などの外敵から身を守ることのできる建物と言う意味からですね。
地濃◇この点、数千年以上の歴史を踏まえてきたコンクリートは、その強さと耐久性のほかに、十分な厚さと広がりの面をもって、火、光、熱、音、水、などを完全に遮断することのできる能力を有しています。
 だから、コンクリートは人々が横に縦にと重なり合って生活する場をしつらえる格好な遮断材料になった。それがコンクリートジャングルを生み出したのではないでしょうか。
吉田◇「火事と喧嘩は江戸の華」というような、のどかな時代は遠くの昔ばなし。
 火に弱い木造では、出火すると急速に延焼拡大し、建物全体に街全体に火がまわる。個人はもとより、都市全体の生命財産をも失うことになる。そこで、コンクリート造でこれを解決した訳ですね。
 自動車騒音にしてもまたしかり。
 これらの結果が、逆に自然と人との融合を隔絶させることになった。そのように言えると思いますね。

 次回は建築仕上げ技術1993年8月号、学会賞受賞者対談「打放しコンクリート面の生と命」の内、「型わく模様は生命の移植」をご紹介します。

 この年1993年の重大ニュースとして5月15日、Jリーグ(日本プロサッカーリーグ)が誕生しました。日本のサッカーは新しい時代を迎えました。「チケット不足」にも煽られて日本全国は熱狂的なサッカーブームとなった。当時の選手にはカズ、武田、ラモス、ジーコなどの蒼々たるスター選手がいました 。

それでは次回をお楽しみに!

打放しコンクリートについてもう少し詳しく知りたい方はこちらへどうぞ!
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by pikayoshi72 | 2009-02-02 07:20 | ブログ