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第百十三話「世界を代表する打放しコンクリート作品とその建築家」       アントニン・レーモンド

 1888年チェコに生まれプラハ工科大学に学ぶ。アメリカに渡りフランク・ロイド・ライトの事務所に在籍。1919年帝国ホテルの設計施工のためライトと共に来日する。3年後の1922年フランク・ロイド・ライトより独立、レーモンド設計事務所を開設。
 取り壊されはしましたが、かの有名な霊南坂の家は日本で最初の。打放しコンクリート住宅として現在でもよく知られています。
 第2次世界大戦後の1947年荒廃した戦後日本に再度来日。1961年群馬音楽センターはレーモンドの代表作品、内外共。打放しコンクリートによるもの。
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 当時モダニズム建築の先端に位置する日本の建築家の一人ともいわれ国内では30余の著名作品を残し、1976年88才で死去。戦前、戦後の日本建築を最もよく理解された建築家でした。
 次回をお楽しみに
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by pikayoshi72 | 2007-09-24 06:17 | ブログ

第百十二話「世界を代表する打放しコンクリート作品とその建築家」  アトリエ5 

 1950年スイスの若い建築家たちが結成したグループ。1961年打放しコンクリートによるハーレンの集合住宅。ベルン近郊のアルプスを望む森林地帯の傾斜地に建つ。緑豊かな風景に溶けこみ、屋上は見事な植栽からなる庭園。打放しコンクリートの巨匠ル・コルビュジェの提案した風景の中に連続するテラスハウスを実現した先駆的作品とされる。荒々しい打放しコンクリートの肌が周囲の緑と一体化し、大自然と見事な調和をみせる。自然環境に最も溶けこんだ集合住宅は今でも素晴らしい作品として高い評価を受ける。
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 さて、国内は池田勇人内閣の時代、所得倍増計画を打ち出し高度経済成長へまっしぐら。岩戸景気とさわがれ、電気冷蔵庫・電気洗濯機・白黒テレビ(三種の神器)が普及した頃でした。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-09-17 08:58 | ブログ

第百十一話「世界を代表する打放しコンクリート作品とその建築家」   前川國男

 戦後の日本建築界の巨匠、前川國男はル・コルビュジェ、アントニン・レーモンドに学ぶ。
国内の打放しコンクリート建築の元祖とも言われ、門下生には世界的な建築家を輩出させるなど偉業は後世に語り継がれる。その作品は数々の日本建築学会賞、日本芸術院賞など受賞。
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 1961年の打放しコンクリートの代表作品、東京文化会館は本実型枠によるもの。
 爾来、その意匠性は打放しコンクリートを日本建築の詩情を備えコンクリートの美を見せつけたもの。その手法は現在に於いても支持され歴史的重厚感を与える。その流れをくむ著名建築家には、かの丹下健三を始めとし木村俊彦、吉川 清、鬼頭 梓や大高正人など多数。
 1986年、81歳で死去。
 戦前、戦後を通して日本の近代建築の技術的諸課題を克服し貢献した建築界の巨人。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-09-10 06:04 | ブログ

第百十話「世界を代表する打放しコンクリート作品とその建築家」   エーロ・サーリネン

 1910年フィンランド・ヘルシンキに生まれる。13才のときアメリカに移住。エーロはミシガン州のクランブルック美術大学へ。エーロの父は建築家。しかも同校で教鞭をとる。その受講生の一人としてエーロは学ぶ。師弟の関係が親子とは珍しい。その後、イェール大学で建築学の学位を取得。1950年父親が他界するまで父親の建築事務所に勤務、古の日本の美徳、親孝行の鏡か。
 エーロは1951年独立して事務所を開設。1955年を皮切りにMITチャペル、GM技術研究所、IBMトーマス・ワトソン研究所など著名作品の数々。
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 中でも1958年の作品イェール大学ホッケーリンクは打放しコンクリート・シェル構造を用いた曲線的なスタイル。その曲線は20世紀を代表する未来的なデザインとして一世を風靡。ところが建築家エーロの作品は生存中しばしば建築界の権威者から無視され嘲笑の的とされたとのこと。日本の建築家菊竹清訓も同様、初期作品には世間の顰蹙を買い物議をかもしたことも。何か相通ずるものがありますね。
 エーロはアメリカを代表する20世紀の巨匠の一人と評価され世界を代表する建築家として名声を博す。1961年51才の若さで脳腫瘍のため死去。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-09-03 07:23 | ブログ