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第百九話「世界を代表する打放しコンクリート作品とその建築家」  菊竹清訓

 1928年福岡県久留米市に生まれる。1950年早稲田大学理工学部建築学科卒業。村野・森建築事務所へ在籍。1953年菊竹清訓建築設計事務所を開設。菊竹清訓は日本を代表する建築家として打放しコンクリート作品で既にご紹介ずみ。
 さて、今回は国内外にその名声を轟かせた作品、1964年打放しコンクリートの出雲大社庁の舎。第14回芸術選奨文部大臣賞、第15回日本建築学会賞、第7回汎太平洋賞(アメリカ建築家協会)など受賞。
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 その様式は現代の建築技術による古代の舎を彷彿させる建物。しかも機能と空間の統合が合理的な構造で纏められたもの。
 建築家菊竹清訓は黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝を図ろうとする活動を提唱するなど数々の作品と公私にわたる広範囲な先駆的活動は休む間がない。その偉業は人材にも及び門下生には内井昭蔵、仙田満や伊東豊雄など著名建築家を輩出する。
 2000年にはユーゴスラビア・ビエンナーレで「今世紀を創った世界建築家100人」の一人に選ばれる。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-08-27 07:23 | ブログ

第百八話[世界を代表する打放しコンクリート作品とその建築家]JM・B,P・L・M&B・Z

 1958年フランス、パリに建設されたユネスコ本部。設計者は、マルセル・ブロイヤー(アメリカ)、ピエール・ネルヴィ(イタリア)、ベルナール・ゼルフュス(フランス)の3人の建築家による共同設計。
 教育・科学・文化を通じて世界各国間の協力を促進し、平和と安全保障に寄与する国連機関。その崇高な精神を背景に世界を代表する建築家による設計審査委員会の立上げ。メンバーは次の五人からなる国際委員会。ル・コルビュジェ(フランス)、スヴェン・マルケリウス(スウェーデン)、エルンスト・ロジャース(イタリア)、ルシオ・コスタ(ブラジル)、ワルター・グロピウス(アメリカ)
 この委員会の設計承認を経て建てられたもの。
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 大規模なラーメン構造を形成。内・外部とも打放しコンクリートのオリジナリティあふれる建築空間は、その後の打放しコンクリート建築に大きな影響を与えたといわれています。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-08-20 07:34 | ブログ

第百七話「世界を代表する打放しコンクリート作品とその建築家」    カルロス・ラウル・ヴィラヌェヴァ

1900年カルロス・ラウル・ヴィラヌェヴァは南米ベネズエラに生まれる。
第2次大戦後の首都カラカスは石油ブームに沸き未曾有の都市開発に着手。そのリーダーとして首都カラカスを中心にマラカイやベネズエラの都市建設に活躍。その中心的な建築とされたベネズエラ中央大学は打放しコンクリートによって構成され、当時のヨーロッパの建築と芸術を融合させた作品として名高い。
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 そのベネズエラ中央大学、2000年ユネスコにより世界遺産と認定される。
 カルロス・ラウル・ヴィラヌェヴァはベネズエラを代表する20世紀の偉大な建築家として歴史に名を残す。1975年75才で死去。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-08-13 07:34 | ブログ

第百六話「世界を代表する打放しコンクリート作品とその建築家」    ミノル・ヤマサキ

 ミノル・ヤマサキの両親は日系移民として富山県よりシアトルに移住。1912年日系二世としてシアトルにて誕生。この頃のアメリカは不景気と人種差別の時代。父親は貧しい靴職人、苦しい生活のなか学費を稼ぐためミノルは缶詰工場で働く。困苦にめげずワシントン大学建築学科をトップで卒業、引き続きニューヨーク大学大学院に進み修士号を。この流れだけで感動しますね。
 次はおめでた。1941年日系アメリカ人のピアニスト、テルコ・ヒラシキと結婚。その4年後スミス・ヒンチマン&グリルス設計事務所のチーフデザイナーに。1949年自身の設計事務所を開設活動開始。
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 打放しコンクリートで構成されたランバート・セントルイス国際空港は優美なターミナル空港として高い評価を!以降、オフィスビル、空港ターミナル、大学、美術館や公共建築など世界各地に作品を残す。ミノルはアメリカ建築家協会(AIA)のファースト・ホーナー・アワード賞を1959年2回・61・63年と四回受賞する。
 中でもミノルの重要作品の一つ、ニューヨークのワールドトレードセンター。2001年9月11日のテロによって倒壊、この衝撃的事件は世界を震撼。
 日本国内では1954年神戸米国総領事館(日本建築学会賞作品賞)、1979年シェラトン都ホテル東京、1988年神慈秀明会ホール(滋賀県甲賀市)など。
 1986年癌のため73歳で死去。波瀾万丈の建築家!
 次回お楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-08-06 07:22 | ブログ