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第八十八話「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」藤木隆男

 1946年山形県に生まれる。東京都立大学工学部建築学科を経て1971年より19年の間坂倉建築研究所に在籍、1990年晴れて藤木隆男建築研究所を主宰、設計活動に入る。1995年母校の都立大学大学院建築学専攻助教授に、2001年には芝浦工業大学建築学科教授に就任。
 さて、建築家“藤木隆男”の打放しコンクリート代表作品とされるキリスト教系の育英サレジオ小・中学校は1993年日本建築学会賞作品賞受賞に輝く。
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 武蔵野の面影が残る広大な緑の中、散在する東京サレジオ学園とは対照的に人工的な中庭を取り囲む様に配置された園舎は、新しい都市的空間とされています。その手法は、限られた条件を大切にし、しかもこれを逆手にとって豊かな成果を生み出す。とのこと。
 建築家藤木隆男先生のますますのご活躍が期待されます。
 次回お楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-03-26 07:25 | ブログ

第八十七話「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」真喜志好一

 1943年沖縄那覇市生まれ。神戸大学大学院修士課程を経て、同大学工学部助手に。
 打放しコンクリートによる代表作品は沖縄キリスト教短期大学。
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 中庭を囲むオール打放しコンクリート建築、イタリアの山岳都市を想わせるキャンパス。直接的な空間にヒエラルキーを形成せず、水面に広がる無限定な空間関係が形成されたもの。沖縄の自然の生活に密着した造形原理からの発想といわれています。
 沖縄キリスト教短期大学は1991年度日本建築学会作品賞を受賞。沖縄の建築文化を代表する作品といわれ、その外沖縄大学1、2、3号館、佐喜真美術館、壷屋焼物博物館など数多く発表、沖縄建築界に新風を吹き込む。
その“真喜志好一”は沖縄の人、まさにそのウチナンチュ(沖縄人)のコスモロジーを体感し表現する建築家として知られています。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-03-19 07:25 | ブログ

第八十六話「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」柳沢孝彦

 1935年長野県松本市に生まれる。1958年東京芸術大学美術学部建築科卒業。同年(株)竹中工務店・設計部へ入社。1981年には竹中工務店東京本店設計部長に。エリート建築家の足跡そのまま具現。作品はことごとく受賞に輝く。中でも打放しコンクリート作品の一つ“真鶴町立中川一政美術館”神奈川県西部真鶴半島の自然公園内に建つ町立の小美術館。
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 敷地が尾根道に沿った細長い傾斜地。打放しコンクリートに硫化銅板葺きの小さなヴォールト状屋根を架けた2階建て。展示室棟を2列に並列し、連続させたもの。本作品は1990年第15回「吉田五十八賞」、1992年に第33回「BCS賞」を受賞。1994年には同じく打放しコンクリートによる“郡山市立美術館”にて第35回「BCS賞」を、翌年これら一連の美術館・記念館の建築設計にて第51回「日本芸術院賞(第一部・美術)」を受賞するなど多彩。平成に入り日本建築界に於いて数々の審査委員を歴任。建築家“柳澤孝彦”は母校東京芸大を始めとし、東工大建築学科、建設省建築大学校と法政大学建築学科に教鞭を執る。ますますのご活躍が期待されます。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-03-12 07:16 | ブログ

第八十五話「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」相田武文

 1960年に建てられた霊苑の改修、後楽園に近い緑にかこまれた静かな環境にある。東京都関係戦没者16万人余りを慰霊するためのもの。建築家“相田武文”の主張する揺れ動く焦点、すなわち“ゆらぎ”が具体化された打放しコンクリートの代表作品といわれています。
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 この年、岸信介内閣の時代、現首相“安倍晋三”のおじいさん。日米相互協力及び安全保障条約つまり“新安保条約”調印、岸首相この条約批准を強行採決し、成立させたため、その反対運動が勃発。戦後最大の民衆運動に拡大、岸信介内閣は倒れ騒然とした時代でした。打放しコンクリートによる戦没者の慰霊の里にこんな世情が同居していたとは世の中どうなっているんでしょうかね。
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by pikayoshi72 | 2007-03-05 06:00 | ブログ