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第八十話「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」安藤忠雄-その5

 1987年毎日芸術賞に輝く“六甲の教会”神戸・六甲山の頂き近くの斜面に建つ。長さ40mの柱廊は磨りガラスに覆われたやわらかな光と闇に満たされた空間。礼拝堂は方向性をもつ光と闇の空間を醸し出す。その空間は心を崇高な信仰へと導く。建築家“安藤忠雄”の興味深い作品の一つ。
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 引き続き1988年“水の教会”北海道・夕張山脈の北東、中央山岳部の平原に位置し、リゾート施設内に建つ教会。森の中に人工湖を作り、付近の小川から水を引き込み注ぐ。野生の樹木の緑に覆われた人工湖はわずかな風でもさざ波が立つ水深に設定される。
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 その翌年、1989年(平成元年)“光の教会”大阪・茨木市の閑静な住宅街の一画に建つプロテスタント教会。礼拝堂内部の祭壇の壁全面に十字架のスリットが設けられ、そこから射し込む光は十字架を現出させるもの。
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 打放しコンクリートによる三つの教会。その原点は“光と闇”自然と同化した佇まい、その主は打放しコンクリート。いずれも日本を代表する打放しコンクリート作品として知られる。
 次回お楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-01-29 07:26 | ブログ

第七十九話「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」安藤忠雄-その4

 自然と共生した画期的小住宅“住吉の長屋”失われつつある都会の自然を住処に引き込む。しかも日照と通風を母体として、これが町屋の坪庭に通ずるとし、都会に歴史や日本的美意識を念頭においた建築を作る。その根本は打放しコンクリートにあり。 凡人にはこんな程度の理解が精一杯。建築家安藤忠雄は熱意と努力の主。仕事が暇な時はひたすら建築の本を読み、絵をかく。「金にはならんがやるからには徹底的にやる」、といったところがちがうところ。
 さて、人物像ストーリーは一時お預けとして、建築家安藤忠雄の日本を代表する打放しコンクリート作品をご紹介します。最初は言わずと知れた“住吉の長屋”木造の3軒長屋の真ん中に建つ。日本建築学会賞を受賞した打放しコンクリートの小住宅。逸話としても今もって健在。引き続く数々の代表作品と輝く遍歴の一部を追ってみます。まず“六甲の集合住宅”その設定は大阪湾から神戸港にかけて一望することが出来る小高い斜面に立地。背後にせまる60度の急斜面。そこに段丘の集合住宅。
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 1983年の打放しコンクリートの日本を代表する作品にランク。集合住宅に初めて個人と近隣との階層組織を形成したもの。集合住宅のあり方に一石を投ずる。日本文化デザイン賞受賞。
次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-01-22 07:30 | ブログ

第七十八話「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」安藤忠雄-その3

“グレート安藤”若かりし頃の元プロボクサー安藤忠雄のリングネーム。その戦歴は23戦13勝3敗7分け。意外に強いですね。海外遠征はタイ国、それも付き添いなしの一人旅。こんな一回の海外経験がもっと広い世界を知りたいと駆り立てた。その目的はボクシングの武者修行ではなく“海外の建築を見る”。去りし日アルバイトの金で見に行った大阪や京都の民家や茶室“そうだ”世界の建築を肌で感じる。
 決意を新たにシベリヤ経由でモスクワから北欧の地フィンランドへ。この軍資金はボクシングのファイトマネー。この地を皮切りに半年間にわたりヨーロッパ各地を建築行脚。
帰国後、一息ついて1969年大阪で建築事務所をオープンするも仕事が薄く、事務所で寝転び読書の日々。この暇な時間が後々の役に立つとは、分からないものですね。こんな時代が背景となって建築家“安藤忠雄”が頭角を現す。かの有名な“住吉の長屋”これを切っ掛けとして、打放しコンクリートの住宅や商業建築に新風を吹き込む。
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その代表作品は、自然環境に配慮した住宅、階段に屋根がないため雨の日には傘をさして移動し、冷暖房もないため冬寒く夏暑い。使う側からしてみれば不便きわまりないが、自然と共生する大きなテーマを具現したもの。大建築家村野藤吾氏曰わく、「この家の設計は悪くはないが、任せた施主がえらい。賞をあげるなら施主にあげたい」。
あなたならどうします。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-01-15 07:19 | ブログ

第七十八話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 安藤忠雄-その2

 何処にでも見かける高校卒で引っ込み思案の若者、勉学を志すも貧しくて大学にはとても行けない。こんな若者が社会の片隅で一人静苦悩する姿、空しさいっぱいの情景が目に浮かびますね。
その主人公が安藤忠雄とは、現今の活動ぶりからは到底考えられないところ。打放しコンクリート建築の大御所“安藤忠雄”その生い立ちと遍歴をたどってみる。
そのストーリーはまさに波瀾万丈、想像を絶する人生航路であったとは。
 建築家を志すが生活が苦しくてとても無理。そこでアルバイトに精を出し貯めたお金で大阪、京都の民家や茶室を見に行く生活。そして身近な人を頼っての仕事づくり、その最初の仕事は家具の製作、幼少の頃、木工所の片隅で学んだ目視技術。待てど暮らせど仕事は少なく来る日も来る日も真っ暗がり、不安の連続だったそうです。
 人生の岐路は誰にでもあること。その岐路はヨット航海による太平洋横断をした、かの有名な堀江謙一さん。荒波に翻弄されつつもめげることなく一人旅、我然心の躍動を覚える。しかし先立つ資金はなく、かの引っ込み思案の若者は何とプロボクサーに変身。試合で得たファイトマネーが後の建築家“安藤忠雄”の一里塚であったとは、耳を疑いたくなる話ですね。
 その名も大きく“グレート安藤”とは。
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 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-01-08 08:56 | ブログ

第七十七話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 安藤忠雄-その1

 あけましておめでとうございます。
丁度今日1日が月曜日、今年最初のブログとさせていただきます。
今年は「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」について出来る限りその人物像にせまってみます。 
 今回はかの有名な安藤忠雄!早速課題に入ります。
1941年大阪下町生まれの66才、双生児の兄として生まれ、双子の弟は北山孝雄、目下東京で都市コンサルタントや商業デザインなど主とした北山創造研究所を経営、一番下の弟は建築家北山孝二郎、三人揃って建築家兄弟といえますね。
 さて世紀の建築家安藤忠雄の幼少時代から始めます。大阪の下町に祖母と小さな住処に暮らす。たまたまその斜め向かいに小さな木工所。そこを遊び場所と定めその片隅で職人おやじの手仕事を眺めて日を通したそうです。 中学生の時、住処を二階建てに増築、その工事を隣の大工にたのむ。大工は日頃の安藤少年の物作りによせる関心を知り大工仕事を手伝わせる。出来上がった二階建ての実家は打放しコンクリートの出生作「住吉の長屋」を連想させる住処。
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 こんな原点があって生み出された住吉の長屋、1969年今を去ること37年前小さな個人住宅としてはじめて日本建築学会賞を受賞。この作品を切っ掛けに沈滞していた打放しコンクリート建築に再興の気運が高まり新しい時代の打放しコンクリート建築が始動するといった頃でした。
 次回も引き続き安藤先生の生い立ち話します。
 お楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2007-01-01 01:53 | ブログ