「ほっ」と。キャンペーン

<   2006年 11月 ( 4 )   > この月の画像一覧

第七十二話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 原広司

 原広司先生は1936年川崎市に生まれる。この年2.26事件が発生、皇道派と称する陸軍青年将校が国家改造をめざして兵隊を率いて首相官邸と警視庁などを襲撃した大事件がありました。いまわしい軍国日本の始まりといわれています。
1959年東京大学工学部建築学科ご卒業。1964年同大学大学院建築学専攻博士課程修了後、同年東洋大学建築学科助教授を経て、1969年母校東京大学生産技術研究所助教授にご就任、翌年原広司+アトリエ・ファイ建築研究所と共同設計活動を開始。
 1987年那覇市内にある沖縄のシンボル「守礼門」、そこに隣接する那覇市立城西小学校を設計されました。
e0030813_7215421.jpg

 この那覇市立城西小学校は打放しコンクリートによる建物で沖縄の気候条件に呼応したもの。「教室と教室、中庭と廊下の構成は、淀んだ空間や見通しの効く空間でつなぎ合わされ、さらに屋根のスリットを通して光が射し込むなど、自然環境と同化しつついたるところに異なった空間を形成し、まったく趣を異にする空間を演出、沖縄の歴史的風土を醸し出す風景」をつくり出したもの。日本を代表する打放しコンクリート作品として知られています。
その他ヤマトインターナショナル、JR京都駅、新梅田シティなど有名作品も多数。
特筆すべきは原先生の薫陶を受けた門下生には山本理顕、宇野求、隈研吾、竹山聖、小嶋一浩等、日本を代表する建築家として活躍中!名著書は勿論のこと建築作品に対しても日本建築学会賞を始め数多くの受賞歴に輝いています。
人材の育成、お見事の一言につきますね。
 次回をお楽しみに。
[PR]
by pikayoshi72 | 2006-11-27 07:22 | ブログ

第七十一話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 内藤広

 内藤先生は1950年横浜生まれ。
この年、今話題の中心北朝鮮が朝鮮半島を統一するため韓国に侵攻、朝鮮戦争が勃発した年でした。1976年早稲田大学大学院修了後、マドリッド(フェルナンド・イゲーラス)の建築設計事務所へ勤務、3年後の1979年に菊竹清訓建築設計事務所へ。1981年に内藤広建築設計事務所を設立し建築家として活動開始。
 建築家内藤広は「空間を設計する際、無意識のうちにその背後にある時間を設計している。建築は、まさに物質文明の中心にあり、その誕生から廃墟に至るまで長い時間を内包するものである」とのお考え。1984年の作品TOMは、建築の中に固有の時間を作り出す試みがなされたもの。住宅地に建つ小さな住居付のプライベートギャラリー。打放しコンクリートを主体とした代表作品として名高い。
e0030813_7192673.jpg

 内藤先生は、2001年東京大学大学院助教授に翌年同大学教授にご就任、土木の分野で教鞭をとる傍ら建築は勿論のこと、都市土木の枠を超え幅広く活動されています。
 その他海の博物館・牧野冨太郎記念館・島根県芸術文化センターなど著名建築作品を手掛けられ、しかも「建築的思考のゆくえ」など数々の著作を発表されています。
一層のご活躍を!
 次回お楽しみに
[PR]
by pikayoshi72 | 2006-11-20 07:20 | ブログ

第七十話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 木島安史・YAS

 木島先生は、1937年朝鮮黄海道海州市にてご誕生。早稲田大学ご卒業後同大大学院へ。修了後丹下健三都市建築設計研究所へ。1980年学者への道を歩む。熊本大学工学部を経て
1992年千葉大学工学部教授にご就任。教鞭の傍ら建築家としてもご活躍。その一つ、1984年に建てられた球泉洞森林館は林業振興のため計画された建物、建築家木島安史の打放しコンクリートによる日本を代表する作品として選ばれる。鍾乳洞「球泉洞」の入口、球磨川へ下る急峻な崖の岩盤に位置する。
e0030813_7185966.jpg

 その様相は「七つのドームが互いに貫入し合って構成され、その断層が内部でも重なり、切断し合って空間に動きを与えている」といったもの。
 木島先生は上無田松尾神社、折尾スポーツセンターや熊本草葉町教会など有名作品を手掛けられ、1985年には日本建築学会賞、1990年には村野藤吾賞など多数受賞。69才の若さで1992年惜しくもご逝去されました。ご冥福をお祈りします。
次回をお楽しみに。
[PR]
by pikayoshi72 | 2006-11-13 07:19 | ブログ

第六十九話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 穂積信夫(穂積研究室)

 穂積先生は1927年にご生誕。ご高名な研究家として知られ打放しコンクリートの代表作品として1983年に建設された早稲田大学本庄高等学院。
日本を代表する打放しコンクリート建築として異彩を放つ。全体構成を次のように別ける。事務棟と大教室は公式の場、教科教室群は日常授業の場、食堂、図書館はハウスに囲まれた生活領域の場とし、この三つに別けた場の教室群を「店」とし、先生方が「店長」、学生を「お客様」と設定。
e0030813_7184059.jpg

先生は学生の興味をそそるいろいろな展示、パズル、由来、出来事などを企画して雰囲気と活気を盛り上げるという趣向。そして各棟が寄り添って町の通りを形作りイメージをもたせるという建物の物語性を実践明示したもの。科学的、合理的よりも、形の成り立ちや感動に重点を置いた作品としてその特異性が光る。
 数多くの作品の中でも田野畑中学及び寄宿舎は日本建築学会賞を受賞、その思想は「生活環境の異なる山の子と海の子が親しくなる機会と広場を中心とすることにある」といわれています。
 その他民俗資料館など一連の建築は地域住民の教育と交流の核となる異色の作品として高く評価されています。
 次回をお楽しみに。
[PR]
by pikayoshi72 | 2006-11-06 07:19 | ブログ