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第六十八話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 高松 伸

 建築家 高松 伸、その建築に対する思想は、「人々の置かれた環境、その気候風土から醸し出される様々な特殊性、日々生活に織り込まれ染め抜かれた重層的な豊かさを読み解くことにある」とし、一方「設計とはこれらの特殊解の探求である」と。一読では理解しにくいハイレベル。
 先生は1980年京都大学工学部建築学専攻博士課程修了。同年、高松伸建築設計事務所設立。学窓から社会へ一足飛び。設計活動の成果は1984年日本建築家協会新人賞を皮切りに2000年まで打放しコンクリート作品を含む各分野の受賞歴は10余に達しています。
時は中曽根内閣、戦後政治の総決算として、電電公社→NTT、専売公社→JT、国鉄→JRと行財政改革を推進し、世はまさに民営化断行の年、激動の時代でした。
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 中でも、建築家高松伸1983年打放しコンクリートによる代表作品、ARK(仁科歯科医院)の形態は、巨大なシリンダーを思わせる10本の塔状のトップライトにエンジンを彷彿させるもの。この同一形態の執拗な反復によって人々に大きな心理的効果を与えたと言われています。その外打放しコンクリートによる、国立劇場おきなわ、織陣Ⅲなど著名打放しコンクリート作品の数々は多くに人々に感動を与え、偉大なる名声を博し轟かせました。
 先生は17年間携わった同設計事務所をご退任後、ふる里の京都大学大学院教授にご就任されました。
 ますますのご活躍を。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-10-29 07:29 | ブログ

第六十七話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 大高正人

 大高先生は1949年東大大学院修了後、同年前川国男建築設計事務所へ。
1954年、戦後初めて国の主宰で行われた「国立国会図書館懸賞競技設計」へ出展し、前川国男率いるMID(ミド同人)によるプランが見事一等に選ばれました。
このMIDの中心的役割を果たした人物が大高正人氏!国会議事堂に隣接する敷地に建設、「如何にして国会議事堂と調和均衡を図るか」が最も重要なことであったといわれています。
MID大高先生らは、この国立国会図書館設計にあたり「空間を創造する二原則」を設計の基本として
その一、建物を使う人々の側から考える。
その二、建物の材料、工法、設備、構造など綜合的に考えて、書架の単位である6.3mからスパンを決めたとされています。
さて本題に入り、国立国会図書館、その建物の主体を形作る材料が打放しコンクリート。何故か次の様です。この打放しコンクリートにかせられた役割は、当時もてはやされた近代建築 “総ガラス張り”。醸し出す空間は人々の心に落ち着きが形成されにくいことを背景として打放しコンクリートを採用したそうです。素材のもつ重厚感と簡素な造形美を形成することが出来る唯一の素材として。
まえがきが長くなってしまいました。大高先生は建築家前川国男師匠のもとに13年間在籍、1962年大高建築設計事務所設立、活動開始。1967年坂出市都心再開発に参画、地上6~9mの高さにRC基盤面を作り、その上に打放しコンクリートの集合住宅を載せたもの。
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有名な坂出市人工土地として良く知られています。その他大高先生は、1974年建設省中央建築審査会を始め日本建築士会など役職につかれ活躍されました。
打放しコンクリートの建築作品は勿論のこと、多彩な活動の成果は2003年の旭日中受賞など数々の受賞歴として残されています。
次回をお楽しみに
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by pikayoshi72 | 2006-10-23 07:17 | ブログ

第六十六話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 象設計集団

 6人で構成された設計集団。樋口裕康・富田玲子・町山一郎・関郁代・坂元卯と岩田英来の各建築家。資本金1,000万円その範疇は建築の設計、管理は勿論のこと環境の企画・計画・都市計画から日常生活のデザインと幅広く縦横に展開された異色な業務活動。
 東京、北海道、台湾と事務所を設置、その活動ぶりは海外にまで名声を轟かせる。
 打放しコンクリートによる宮代町立コミュニティ・センター進修館は、地域の特産であるブドウを支える独立柱を打放しコンクリートとし、デザインに留まらず機能させるなど地域に密着したコミュニティ施設として知られ、打放しコンクリートによる代表的作品として紹介される。
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 1977年の芸術選奨文部大臣新人賞(美術部門)・今帰仁村中央公民館を皮切りに2004年までに日本建築学会賞・日本デザイン賞・景観賞・ドイツFrankfurterZwilling賞や台湾、公共工程品質賞など25件余りに及び卓越した実績は枚挙にいとまが無い。
 一層の活動に多くの期待が寄せられています。
次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-10-16 07:35 | ブログ

第六十五話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 六角鬼丈

 日本が太平洋戦争に突入した1941年、六角先生は東京でご生誕。東京芸術大学美術学部建築科を卒業後、磯崎新アトリエに入社、その四年後(株)六角鬼丈計画工房を立ちあげ、設計活動を開始しました。中でも1979年第四回吉田五十八賞を受賞した作品「雑創の森学園」は打放しコンクリートとガラスを主体とした建築でそれぞれの建物には、ガラスのピラミッドを持ち、しかもその上には風見鶏と風車が載せられたといったもの。
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 作品が奏でる“動く彫刻”は施設全体にリズム感を生み出し、その彫刻は建築と調和した傑作とされています。六角先生は、1991年に東京芸術大学教授に2000年には中国清華大学美術学院客員教授に就任されました。教鞭をとる傍ら日本建築学会賞を始めとして数々の賞に輝く作品を世に送り出しました。
  ますますのご活躍を!
次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-10-09 12:09 | ブログ

第六十四話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」伊東豊雄

 伊東先生は1965年東京大学工学部建築学科を卒業後、翌年から1969年まで菊竹清訓建築設計事務所に在籍され、1971年には建築設計事務所「(株)アーバンロボット」を設立、その後事務所名を現在の「(株)伊東豊雄建築設計事務所」に改称し代表取締役に就任されました。
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 1976年打放しコンクリートによる住宅「中野本町の家」を設計、当作品は初期の代表作ともいわれており、その設計思想はU字型プランの中央に軸線を縦に通すという観念的志向と軸線を通さず緩やかに回りこんでいく壁面の美しさを求めようとする感性の志向との対立の末、後者をとり設計されました。
「中野本町の家」は後に日本を代表する打放しコンクリート住宅作品として選ばれました。
 以後、1984年第3回日本建築学会協会新人賞受賞を皮切りに主な受賞だけでも十指に余る見事な実績、しかも海外ではブルガリア・ソフィア・トリエンナーレグランプリ受賞を皮切りに、2000年には国際建築アカデミー(IAA)アカデミアン賞受賞、アメリカ芸術文化アカデミーアーノルドWブルーナー賞受賞など建築家伊東先生の偉業は止まるところなし。
 ますますのご活躍を!
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-10-02 07:21 | ブログ