<   2006年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧

第六十三話  「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 仙田 満

 1968年、仙田先生は、環境デザイン研究所を設立、ところは東京世田谷区尾山台。
その4年後に横浜で「あそび環境の研究」を始め1975年には新分野に対しその独創性が評価されトヨタ財団より「こどものあそび環境の研究」に研究助成を受けました。仙田先生の立ち上げたこの研究は、当時唯一の研究機関として注目を浴び、1977年にはその研究成果に対し毎日デザイン賞を受賞、これだけに留まらずこの年日本を代表する打放しコンクリート作品の一つとして「沖縄県立石川少年自然の家」が選ばれました。
e0030813_7242253.jpg

 1982年には「あそび環境の構造の研究」で東京工業大学より工学博士を授与され、1985年、筑波科学万博の政府出展施設「こども広場」の設計を担当されました。
 1984年、琉球大学工学部建設工学科教授に就任され、その後名古屋大学を経て1992年には東京工業大学工学部建築学科で教鞭をとられました。
 先生は1995年以降、設計コンペ最優秀賞受賞を手始めに、翌年には茨城県自然博物館から日本造園学会賞受賞、引き続き愛知県児童綜合センターでは日本建築学会賞を受賞、その業績はまばゆいばかり。
 仙田先生は、2001年日本建築学会会長、2004年にはこども環境学会会長とご活躍、環境デザイン研究分野において偉大な貢献をされました。
 次回をお楽しみに。
[PR]
by pikayoshi72 | 2006-09-25 07:24 | ブログ

第六十二話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 吉村順三

建築家吉村順三先生は東京生まれ。東京美術学校で建築を学び、打放しコンクリートの日本での元祖と言われるアントニン・レーモンドに師事、その一方先生は逆にレーモンド師匠に日本建築の真髄を伝える。
1941年吉村順三設計事務所を開設、そのかたわら東京芸術大学で教鞭をとる。
1974年打放しコンクリートの代表作品とされる愛知県立芸術大学。名古屋市郊外の丘陵地に建築された大学のキャンパス、南北に真っ直ぐに伸びた講義室棟を中心に各施設を配置。
e0030813_952983.jpg

その設計思想は、日本の伝統とモダニズムの融合を図った作品としてつとに有名。その他国際文化会館、奈良国立博物館など手掛け、BCS賞や公共建築100選に選ばれるなど優れた作品は枚挙にいとまがありません。
特筆すべきこととして余りにも有名な皇居新宮殿。その基本設計計画に主設計者として先生が参画。勿論打放しコンクリートを随所に散りばめた傑作。
先生の設計者としてのお考えは、新宮殿は品格ある国家の象徴としてあるばかりでなく、どこまでも現代の技術による新しい設計の近代建築でなければならない。そんなことが巷に流れていました。
この時代は第一次佐藤内閣、いざなぎ景気をもたらしたベトナム戦争が本格化し北爆開始、その一方日本は日韓基本条約を締結し、韓国と国交回復した年でもありました。内外とも多忙な頃ともいえますね。
次回をお楽しみに。
[PR]
by pikayoshi72 | 2006-09-18 09:08 | ブログ

第六十一話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 篠原一男

 建築家篠原一男先生は、1952年静岡県に生まれ1947年東京物理学校(現首都大学東京)をご卒業後、東北大学を経て東京工業大学建築学科に、かの有名な故清家清先生に学ぶ。
同大学卒業後は助手を経て1962年助教授、教授へ、1986年には同大学名誉教授に。
海外でも1984年イェール大学、1986年ウィーン工科大学の客員教授としてご活躍。
東京工業大学では篠原一男研究室を立ち上げ。別名「篠原スクール」門下生坂本一成、伊東豊雄、長谷川逸子など、国内外で活躍する著名な建築家を育てられました。
先生は多くの打放しコンクリートによる伝統的な民家がもつ趣を住宅作品に取り入れ、中でも傑作とされる「上原通りの住宅」は余りにも有名。
e0030813_7253774.jpg

 住宅作品以外にも打放しコンクリートの「日本浮世絵博物館」など幾何学的に計算された美を大胆に融合した作品を残されました。
e0030813_7255437.jpg

 1972年以降、一連の打放しコンクリート作品に対し日本建築学会賞、芸術選奨文部大臣賞など多数受賞。1990年には紫綬褒賞、2000年旭日中綬章、2005年には日本建築学会大賞まで受賞と輝かしい経歴は眩しいばかり。
 今年の7月、川崎市の病院で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
 次回をお楽しみに。
[PR]
by pikayoshi72 | 2006-09-11 07:26 | ブログ

第六十話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 宮脇壇

 建築家宮脇壇、東京芸術大学建築学科卒業後東大大学院建築学専門課程修了のエリート。東京大学、法政大学などで講師をする傍ら1991年からは日本大学生産工学建築科研究所教授として活躍。先生は、日本の住宅設計の著作に示される様に、数多くの住宅を設計、中でも打放しコンクリートによる松川ボックスは代表作品。
 
e0030813_7224869.jpg

 都心の住宅地で四方を隣家に囲まれた敷地、この限られた空間に人間性あふれた住宅。
その根底には、「宮脇壇の住宅」・「それでも建てたい家」・「父たちよ家に帰れ」など、心暖まる数々の著作に表れています。
 丁度この年1971年は第三次佐藤内閣の時代、現在もホットな話題となっている沖縄。佐藤首相とニクソン大統領の会談で沖縄返還協定に調印、翌年発効、広大な米軍基地を残したままの本土復帰、今もって課題として続いていますね。
 さて、宮脇先生は日本建築学会賞、緑の都市空間建設大臣賞など多数の受賞作品の外、日本建築学会、文化庁、建設省など各会の委員としてもご活躍。先生は住宅設計に留まらず、大型の建築設計にあっても「プレゼンテーションなどに投入されるエネルギーは量ではなく質である。設計にあたりビッグ・プロジェクトに臨むには、大組織をもってあたるのではなく、必要な人材を集めて組織化して行い、あくまで建築設計は会社や組織が行うものではなく、最後は個人が行うものだ」。人間主体のお考え。暖かさを感じますね。
 1998年逝去、62年の短い人生を惜しまれつつ旅立ちました。
ご冥福をお祈りいたします。
 次回をお楽しみに。
[PR]
by pikayoshi72 | 2006-09-04 07:23 | ブログ