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第五十九話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 鈴木 恂

 建築家鈴木恂先生は1960年~1970年代にかけ打放しコンクリートを主軸にした多くの小住宅を手がけました。
中でも1970年の作品GAH6812は打放しコンクリートに留まらず “水泡単位” の思想をテーマとして設計されたそうです。
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 “水泡単位” とは耳慣れない言葉ですね。
先生曰く住宅の食堂や寝室に設けた透明ガラスの箱を水泡単位と呼び予測される家族構成の変化に対して、間仕切をとりはずすなど新しい空間を作ることだそうです。
先生のお考えの根底には“住宅は社会の反映でありながらも基本的な考えはそんなに変わるものではなく、人間そのもの、触覚的な空間という部分でしか住宅は成りたたない”と、おっしゃっています。
先生は打放しコンクリートを基本とした住宅を始め多彩な建築を世に送り出しています。
次の8作品はその代表作としてよく知られています。

1.)1970(S45) 日本歯科大学体育館    2.)1970(S45) GAH6812
3.)1972(S47) YAH6912          4.)1979(S54) 竜谷寺妙光堂
5.)1987(S62) マニン・ビル      6.)1997(H09) 都幾川村文化体育センター
7.)1997(H09) 東京家政大学体育会館小講堂   
8.)1999(H11) 早稲田大学大久保キャンパス新研究棟
          (古谷誠章+早稲田大学新研究棟設計室)

 1960年~1970年代と言えば、池田内閣の時代、所得倍増計画がたてられ、1964年東海道新幹線の開通、東京オリンピックが開催された年でもあり社会が大きな変革をとげた時代ですね。
 1979年の作品に新潟県南魚沼郡にある“竜谷寺”があります。108体の仏像を安置する収蔵庫兼展示室で内外共打放しコンクリート。お堂本体を地上よりもち上げている珍しい作品です。
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 日頃目にする住宅、寺、学校の建築のイメージからは想像もつかない作品で改めて驚いてしまいますね。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-08-28 07:26 | ブログ

第五十八話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 香山寿夫

 香山先生は、1937年東京生まれ、東大では吉武泰水先生に師事、1966年ペンシルヴァニア大学美術学部大学院へ留学し打放しコンクリート建築では世界的に有名なルイス・カーンに師事。
 この頃の日本は佐藤内閣の時代で、アメリカがベトナム戦争に本格突入し物資の供給による好景気の到来で高度経済成長を謳歌、その反面、四日市ぜんそくや水俣病など公害が多発した時代でもありました。公害によってもたらされた病気は、現在でも社会問題として残っていますね。
 こんな時代を背景に香山先生は1970年九州芸術工科大学校舎を設計。打放しコンクリートで構成されたキャンパスは、フォーマル・コミュニケーション、インフォーマル・コミュニケーション、フリー・コミュニケーションの三つが果される場であることとし、これを実践した作品といわれています。正に素材としての打放しコンクリートは、自然環境に同化しコミュニケーションを満たすものと改めて感じました。
 この九州芸大は、打放しコンクリート建築に於ける日本の代表作品と称されています。
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 ところで香山先生のご専門は、都市計画と町並み保存の分野だそうです。東大や明大、放送大など教鞭を執る傍ら著作・翻訳に加えて数々の建築作品の受賞など栄誉のオンパレードです。
すごいですね!
 次回をお楽しみに
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by pikayoshi72 | 2006-08-21 07:35 | ブログ

第五十七話「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 内井昭蔵

 内井先生のご出身は東京で早稲田大学、大学院を経てかの有名な菊竹清訓建築設計事務所に入所されました。
内井先生は建築家に留まらず京都大学、滋賀県立大学などで教鞭をとる傍ら1970年には打放しコンクリートの代表作品として桜台コートビレッジを設計、見事に日本建築学会賞を受賞されました。
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 横浜青葉台に建つ集合住宅“桜台コートビレッジ”は急な斜面を敷地として平坦な土地にしか建てられなかった集合住宅を丘陵地に建設し、建築と地形を一帯として活用した画期的な方法として注目を浴びました。
この頃、国内はベトナム戦争の余波を受け、いざなぎ景気に支えられ、消費生活への道へ!
当時3Cと称してカー(車)、クーラー、カラーテレビが一般家庭に普及していった時代でもありました。
“桜台コートビレッジ”は、まさに時代に対応した住処に夢を、打放しコンクリート建築によって具現した立役者といわれています。
内井先生は新発田市民文化会館、公民館や目黒不動前マンションなどいくつかの打放しコンクリートの名作品を世に送り出しました。
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 内井先生は2002年に逝去、ご冥福をお祈り致します。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-08-14 07:34 | ブログ

第五十六話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 水谷頴介

 水谷先生は東京生まれの阪神育ち、神戸大学工学部建築学科から大阪市立大学大学院へ進む。都市計画がご専門だったとか。
 1959年に「都市計画同人TUR・水谷研究室」を立上げ、翌年には母校大阪市立大学工学部助手として、学者への道に進みました。かと思えば、ご専門の都市計画、全国町並保存連盟に加わりご活躍されたとか。
 そこで1968年に打放しコンクリート建築である四国物産本社ビルを設計。
当作品は見るからに未来の都市を想像させる夢あふれたもので、30代の意気揚々さを感じさせる作品で勿論、日本を代表する打放しコンクリート建築群の一つとされています。
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 話はもとに戻って、水谷先生は阪神とその近郊市町村の都市計画や町並保存に参画し貢献する傍ら、大阪芸大、九州芸大、神戸大学などで教鞭を執る、といったご多忙の活躍でした。
 先生は1993年、福岡にて逝去されましたが60年に満たない人生は少し短い気もします、感慨深いものがありますね。
 ご冥福をお祈りします。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-08-07 07:24 | ブログ