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第五十五話  「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 鬼頭 梓

 鬼頭先生は東京生まれの東京育ち。東大を経て14年間、打放しコンクリートでは第一人者と言われる前川国男建築設計事務所に在籍。巨匠前川先生直々に薫胸を受けられたとのこと。 
 1964年、鬼頭梓建築設計事務所をオープン。丁度、東京オリンピックが開催された年で以来、30数年にわたり設計監理に従事。その根底にあるものはゆるぎない人生哲学、“誠実な仕事を信条とし、豊かな生活と活動を約束する、機能的でしかも美しい建物”をテーマに活動されたそうです。
 中でも1968年、東京経済大学図書館は日本を代表する打放しコンクリート建築作品として高く評価されています。
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 この頃、日本経済も好景気が続き、GNPは資本主義国の中で第2位に輝く実績を挙げた年でもありました。
 鬼頭先生は設計の傍ら、1964~1967年東大・建築学科で、1980~1983年東京電気大学建築学科の講師を務められました。
 打放しコンクリート建築に限らず幅広く様々なジャンルでご活躍され、教会・住宅やオフィスなど多彩な作品を世に送り出しました。
 先生の益々のご発展をお祈りして。
 次回をお楽しみに
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by pikayoshi72 | 2006-07-31 07:30 | ブログ

第五十四話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 槇文彦

 槇先生は1928年東京生まれで、モダニズム建築の正統派といわれています。
東大工学部建築学科丹下健三研究室で学び、1952年ご卒業。この後、クランブルク芸術学院、ハーバード大学大学院、修了後はワシントン大学、ハーバード大学で都市デザインを講義、1965年には槇総合計画事務所を設立、本格的な設計活動に入りました。その傍ら槇先生は、1979~1989年の間、東大教授も務められました。
1960年には外壁面積10,000㎡余に達するオール打放しコンクリート建物、“名古屋大学豊田講堂”を設計、当建物で日本建築学会賞作品賞を受賞、これを皮切りに次々と日本を代表する打放しコンクリート作品が生まれました。その代表的な作品の一部を年代順にスケッチにてご紹介します。
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 槇先生は、“豊田講堂が一番丹下先生に近かった”と仰しゃったとのこと。作品は多岐にわたり受賞作品は数え切れない程、日本芸術大賞、プリンスオブウェールズ都市デザイン賞、BCS賞、村野藤吾賞、や中部建築賞など受賞にまつわるものだけでも眼が廻りそうですね。
その他にもまだあります、1993年にはプリッカー賞、UIAゴールド・メダル(国際建築家連合)、高松宮殿下記念世界文化賞、朝日賞、日本建築学会大賞やレイノルズ賞など、夜空にまばたく星の数ほどとはこのことか?もう一つ、先にお話しした豊田講堂にまつわる逸話でル・コルビュジエに設計図面を見せたところ、耐震壁について注意されたと告白されるなど、偉大な人だけに その実直なお人柄には敬服の一言につきますね。
 次回をお楽しみに
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by pikayoshi72 | 2006-07-24 07:37 | ブログ

第五十三話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 安東勝男

 安東先生は1934年新潟佐渡に生まれ、1948年早稲田大学大学院を修了。
同大学の教授の傍ら建築家としても鬼才を発揮、“経済的な理由”と“構造を素直に表現する建築”、この二つの考えを基に選択したのが打放しコンクリートです。
その代表作として母校早稲田大学理工学部総合研究センター・研究棟があります。
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同建物は打放しコンクリートの代表作として、1968年に日本建築学会賞作品賞を受賞。8階建の高層建築で同大学理工学部のシンボルとされキャンパスの核ともいわれています。
もう一つの評価として、かの有名な歴史的建造物“大隈講堂”があります。その伝統に対比し呼応した作品は現代の新しさを象徴した傑作と謳われています。
思い出しました。オーギュスト・ペレ(1905年)は、当時石造りが主流であった建築材料に対し、高価な石造りに比べはるかに安いコンクリートを使う。
つまり経済的なことと、造形に美的表現をすることの二つを考えたといわれています。
打放しコンクリート建築に対する考え方は一世紀を過ぎた現代でも根底は同じなのか!?改めて驚かされる次第です。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-07-17 13:51 | ブログ

第五十二話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 東孝光

 大阪生まれの大阪育ちそして大阪大学工学部構築工学科をご卒業。
郵政省建築部からかの有名な坂倉準三建築研究所へ移籍し新宿西口広場の設計に参画。
1968年(S43年)東孝光建築研究所を設立スタート。丁度その年は地震国日本で最初の超高層ビル、ご存知の霞が関ビルが建てられた年で超高層ビル時代の幕開けでした。
この頃東孝先生は、東京都心の僅か6坪の三角形の土地にご自分の家をオール打放しコンクリートで建築。
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驚くことに玄関以外には一枚の扉もない奇想天外なもの,,,,評価は都市に住む人の住環境を満したものとされ、一気に建築家東孝光のデビューを飾ったものでした。凡人には絶句と思案の底に、衝撃的な住宅でしか映らないか?しかし住んでみなければ分からないこと、野次馬のお節介はダメ!
 東孝光先生日本建築学会賞作品賞を受賞するなど、現在は千葉工業大学教授・大阪大学名誉教授としてご活躍中です。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-07-10 07:24 | ブログ

五十一話「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 林雅子

 日本を代表する女性建築家と称えられる。北海道生まれ。
日本女子大生活芸術科住居専攻の第一期生。設計の実務はかの有名な東工大清家清先生直伝、在籍5年。その後、1958年女性三人からなる「林・山田・中原設計同人」を設立。そのスタイルは日本建築の伝統を意識しつつ現代技術にプラス空間の骨格と大胆なデザイン。打放しコンクリートによる作品、海のギャラリーは、その代表作。
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1981年には、女性最初の日本建築学会作品賞を受賞。更にその4年後、米国建築家協会から名誉会員に推挙されるなど、その経歴は唯驚くばかり。
2002年9月から10月にかけて、「建築家 林雅子」展を大阪にて開催。その主催者には、恩師清家清先生を始め内田祥哉・安藤忠雄先生など日本を代表する偉大な建築家が名を連ね、まさに日本の女性建築家のパイオニアに相応しい。
偉大なる女性建築家 林雅子は去る2001年に逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-07-03 07:46 | ブログ