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第四十一話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 MIDO同人

1956年(S31)当時の政府曰く、“もはや戦後ではない” と宣(のたま)い、巷は神武景気といわれる好景気を迎え、高度経済成長が始まった頃。
こんな社会の情勢を背景に福島県教育会館は建てられた。
「日本最初の民衆建築」と、うたわれた打放しコンクリート造り。
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そのわけは、
①出来る限り経済的・合理的に建てるため、使用するその土地の住民が最初から最後まで直接参加とすること。
②民意を反映した使用目的を満たす機能的・構造的なものとすること。
③打放しコンクリートの素材を活かした建築とすること。
これらの実現のために、最初の企画から設計・施工に至るまですべて住民参加のもと進められたそうです。
その施工現場の状況は、足場は丸太の番線締め、労働安全のシンボル、ヘルメットも行き届かずといったところ。
この頃はまだプラスティックは珍しい時代でした。
参加住民の女性群、姉さんかぶりの手拭いとモンペが標準作業服装、横丁に入ればドブロクやメチルアルコールなど飲んだ若者が大声をあげていた頃。
何か発展途上国を連想させますね。
今日では想像すらつかない建設現場、民意をもとに具現した福島県教育会館。
それだけに注目されたか!
その完成は日本最初の「民衆建築」の代表作品として高く評価されたそうです。
手前みそになりますが、平成16年に当建物を「打放しコンクリート若返りシステム」(吉田工法)で改修施工させていただきました。
 年を前後して日本で最初の民衆自動車の草分け、軽自動車(スズライト・360cc)が発売されました。
今では想像すら出来ないノコギリ屋根の木造工場でした。
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共に民主主義と自由経済の幕開けを感じさせますね。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-04-24 07:29 | ブログ

第四十話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 吉阪 隆正

 吉阪先生は野生の自然児と紳士的国際人の両面を備え持つ。
その吉阪先生の打放しコンクリート代表作品の一つ。
ところは八王子・柚木村の丘陵。
作品は大学セミナーハウス、教師と学生約200人の宿泊研修施設。
傾斜した敷地を利用、小宿泊室10数棟とセミナー室。打放しコンクリートによる多彩な造形。
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傾斜した斜面に散在する諸施設、その頂きに鎮座するバラ板型枠による打放しコンクリート本館。
宿泊・研修施設を見下す逆ピラミッド形の造形は大地に木杭を打ち込んだような怒迫力。
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その表面は打放しコンクリートのバラ板特有な荒々しさに加え、上層より下層に走る斜面壁は、異形の重圧を醸し出し、そこに集う人々を無言の従順に導く。
吉阪先生曰く、 「敷地内に散らばっている教師や学生を一つにまとめるだけの強さを表現した」 とのこと。
打放しコンクリート、千変万化の意匠性、表現の王様か?
無言で人々の心を惹きつける不思議、ル・コルビュジェの流れを汲む吉阪先生にはもう一つ1956年“ヴィラ・クゥクゥ”が代表作品として位置する。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-04-17 07:31 | ブログ

第三十九話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」大江 宏

 数々の秀作をもって知られる大江先生は独自の境地を開く。
その作風は “わかりにくい” とのこと。
これを念頭においてみる。
さて、「小学生の夢の国」の実現を目指して、打放しコンクリートの柱梁からなる教室棟。
しかもその外観は極力小さく軽快なプロモーションを具現した東洋英和女学院小学部。
(1954)
軽妙流麗の境地の一端か!時には巨大で威圧感を醸し出す打放しコンクリートを全く逆の発想に近い形で表現された作品は珍しい。
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 戦後日本のモダニズム建築の中からその象徴として、その翌年、法政大学55年館、千代田区の外壕沿いに建つ、地上7階地下1階、随所に打放しコンクリートを配置。
その構成は新しい打放しコンクリートとカーテンウォールを用いた斬新的な作品といわれている。
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 未だ戦後復興もままならず、地方都市では戦災で生き残った鉄筋コンクリートの低層ビル以外は、オールバラック建てといったところ。
勿論道路は舗装されていないデコボコ道、やっと東海道線の高架化工事が開始された頃のこと。
打放しコンクリート、考えてみれば鉄道の高架化工事も土木工事とはいえ打放しコンクリート、気がつきませんでした。
当時は打放しコンクリートは建築だけの分野と思いこんでいましたから。
 こんなことが起点となって、東名高速道路や各地に建設された発電所などの土木工事にも参加させていただきました。
今では美しい打放しコンクリートの土木構造物が当然の時代ですよね。
時代は変わった、環境重視に。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-04-10 07:14 | ブログ

第三十八話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 村野 藤吾

 建築界の巨匠・村野藤吾、関東の建築思潮に疑問を抱き、その活動は関西に置く。
同時代の巨匠・前川國男先生は関東の代表的な建築家として対比されたとのことです。
 打放しコンクリート建築、その最たる作品が広島世界平和記念聖堂     (1953年)。
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 この頃の我がふる里浜松、当時走っている自動車は少なく、道路脇に駐車しても駐車違反にならないよき時代。
左端の木造二階建ての建物が国鉄浜松駅、なつかしいなあ。
すいません横道にそれてしまって。
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 ところでこの打放しコンクリート建築は、丹下健三先生の広島平和会館記念陳列館の対極に位置する作品といわれています。
この打放しコンクリートで構成された聖堂は世界各国からの寄付で作られたカトリック教会、
打放しコンクリート柱・梁の構造体の壁面には、原爆の灰が含まれた土を使って作られた煉瓦を積み上げた造りで、二棟の一方の塔の高さは56mだそうです。
しかも、作品は随所に日本の伝統的意匠が織り込まれた打放しコンクリート、独特のデザインが醸し出す厳粛な空間は、見る人に感動を与える名作品といわれています。
この時代いまだ国内は戦後の復興期、木造バラック住宅が主流、巨匠建築家の作品との落差は天と地くらいに思えたものですよ。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-04-03 07:37 | ブログ