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第三十七話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」 丹下 健三 (2)

 丹下先生の後日談で思い出しました。
第二十六話 “コンクリート建築のはじまり” でお話したオーギュースト・ペレ(1904年)、フランクリン街の打放しコンクリート建築のアパート。
素材の石材が高価なため、石造にくらべ安いコンクリートを代用として使ったのが始まり。
思い出しましたか?
丹下先生は、戦後の資材不足が打放しコンクリート建築に繋がったとは、知らなかったですよね。
フランスでは石造に比べ安い打放しコンクリート、一方日本では他に資材がなかったから、やむを得ず打放しコンクリートにした。
丹下先生の打放しコンクリートの始まりは時代環境に起因していたとは思いつかなかったですね。
“窮すれば通ず” という諺がありましたね。
高価だった事や他に使えるものが無かったことが打放しコンクリートに歴史や代表作品を構築、まさに諺通りと同感!
日本を代表する丹下先生の打放しコンクリート作品10点と、その姿だけでもと思い資料をもとに一部スケッチしました。
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(丹下建三 作品:10 年代:1962~1964)
1) 1952(S27) 広島平和記念資料館
2) 1954(S29) 愛媛県民館(坪井善勝)
3) 1955(S30) 広島平和記念館
4) 1957(S32) 倉敷市庁舎(岸田日出力)
5) 1958(S33) 香川県庁舎
6) 1958(S33) 今治市庁舎・公会堂
7) 1960(S35) 倉敷市庁舎
8) 1962(S37) 日南文化センター
9) 1964(S39) 香川県体育館
10) 1964(S39) 代々木競技場
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 打放しコンクリート代表作品のいくつかを身近に尋ね、その真髄を知る。
一寸大袈裟かなあ! とはいえ、爪の垢でもと思いつつも至らず、凡夫の嘆きをバネに打放しコンクリートの探訪をしていきます。
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 最後に、ご存じかと思いますが、昨年2005年3月22日、丹下先生はご逝去されました。ご冥福をお祈りします。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-03-27 07:25 | ブログ

第三十六話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」丹下 健三 (1)

 日頃見慣れない巨大な打放しコンクリート建築をまのあたりにすると、圧倒され絶句することがありますね。
まさに建築家丹下健三先生は、人間そのものが巨大すぎて絶句はおろか視角からもはみ出てしまうと言った思いです。
しかし、意外のことに丹下先生は旧広島高等学校時代(17歳)の頃は、文学や芸術に傾倒していたそうです。
それが建築家への道を選んだ故は、外国の雑誌でル・コルビュジェの作品を見て感銘、一転して建築家を目指したそうです。
そこで本命の打放しコンクリート建築の範疇に絞って、かの打放しコンクリート代表作品に埋もれた狙いとその繋がりを尋ねてみました。
 広島平和記念資料館(1952年)を始めに、代々木競技場に至る打放しコンクリート代表作品10点。
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その打放しコンクリート建築造形の根元は?「日本の伝統建築とモダニズムを結びつけた、つまり日本文化の持つすっきりとした建築様式を近代的なものに取り込み打放しコンクリート建築に具現化した」 ことにあるとか!などを頭に入れ打放しコンクリート作品をみると、ある種の神々しさと、日本の歴史と伝統を彷彿させる雰囲気を醸し出し、身に迫るものがありますね。
丹下先生曰く 「建築は芸術であること、人に感動を与えるものが建築である」と。
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 丹下先生は戦前・戦中・戦後にかけてご活躍、中でも戦後の復興に果たした役割は枚挙にいとまが無いといわれています。
そこで興味引くことが一つ。
戦後の貧しい頃の建築は“住めればいい、雨露をしのげればいい”、バラック建の粗末なもの、そんな時世でしたよ。
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当時建築に使える素材が極めて少なく選べる材料は限られ、やむを得ず打放しコンクリートを使った。
と丹下先生は後日お話をされたとのこと。
今まで、芸術的建築作品には打放しコンクリートが最も近い素材で、打放しコンクリートが故に芸術作品が生まれたとも一面思いこんでいましたから、この様なことは想像したことすらありませんでしたよ。
凡夫たる由縁か。
物事の由来は分からないものですね。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-03-20 07:25 | ブログ

第三十五話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」前川國男(2)

引き続き打放しコンクリート建築に寄せる偉大な建築家前川國男先生。
出来ればその取組の一端を少しでも分かればと思って、凡夫の範疇で探ってみました。
必ずしも打放しコンクリート建築に限ったこととは思いませんが、基本的な要素はあるかと。
 頃は1960年代「環境に溶け込む建築を作り出すこと」つまり自然との調和、それには「技術を駆使して、近代建築に人間的暖かみ、芸術的感銘、新しい意味で記念的な感覚を生み出す」、この思想があって、かの荒々しくも美しい打放しコンクリートが生まれたのか?
一方、合理性に踏み込んで、「建築は一定の目的に奉仕すべき空間を形成する殻の様なもので、建築の近代化の過程は、壁の厚さや柱の占める面積、天井裏の面積などの無駄を省く」、そして基本的モティーフは大勢の人間が楽しく、そこに集い、機能的でありながら人間的なもの(松隅 洋)だそうです。
 凡夫には繰り返し読んでしても、どうも真意が理解できたかどうか甚だ心もとないか!
打放しコンクリート建築に寄せる思索の一こま、その上で打放しコンクリート作品を見れば少しは深みのある見方が出来るかなあ?と、思った次第。
たまには香り高い建築文化の知的流れの一端を味わうことも大切。
その打放しコンクリート代表作の一つ京都会館。
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芸術的感銘、記念的感覚が醸し出され心に残る、こんな強いインパクトを受けますね。
エ!“スケッチからそんなこと感じない”と、下手ですいません。
打放しコンクリートの先駆者、前川國男先生の打放しコンクリート作品に対するひとこまを凡夫なりに一端を感じた次第。
如何でしたでしょうか。
次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-03-13 07:33 | ブログ

第三十四話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」前川國男(1)

 お話をもとに戻して、
いよいよ打放しコンクリート建築の草分け、前川國男先生(1905~1986)。
ル・コルビュジェに師事、帰国後アントニン・レーモンド建築事務所に1935年まで在籍。
そこで「日本の技術的基盤のもろさを知る、西欧の模倣から離れ独自のものに挑む」と決意。
こんな思いが日本の先駆的打放しコンクリートに込められているのかなあ?
堅い出だしですいません。
あとは柔らかなトーンでいきます。
両巨匠より学んだ前川先生は、打放しコンクリートの無装飾の美しさ、コンクリートそのものを美と捉えたといわれています。
文面から伝わる打放しコンクリートの芸術の世界、凡人の自分には今一頭に入らないところ。
東京文化会館はその代表作として君臨。
ロンシャン礼拝堂を思わせる曲面の大庇、圧倒されますね。
誰でも一回は訪ねる上野動物園。
その上野駅の正面にドカーンと鎮座、すぐ目に入ります。
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 前川先生は、日本を代表する打放しコンクリートの名作品十一点。
年代は1952年より1986年に至る34年間の作品。沢山なので年代順に下表でご案内。

1- 1952(S27) 日本相互銀行本店
2- 1954(S29) 神奈川県立図書館・音楽堂
3- 1955(S30) 国際文化会館 (坂倉準三・吉村順三)
4- 1958(S33) 晴海高層アパート
5- 1959(S34) 世田谷区民会館
6- 1960(S35) 京都会館
7- 1961(S36) 東京文化会館
8- 1962(S37) 神奈川県青少年センターホール
9- 1965(S40) 神奈川県婦人会館・青少年会館
10- 1977(S52) 熊本県立美術館
11- 1986(S61) 国立国会図書館新館

 1952年の代表作品、日本相互銀行本店(現・さくら銀行八重洲支店)。
前川先生初めての高層オフィスビルとか、しかも1、2階の柱梁は打放しコンクリート。
最近では柱梁の打放しコンクリート造は、当然の様に思われていますが、その古里は、ここにあったとは、知らなかった。
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 引き続き次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-03-06 07:32 | ブログ