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第三十三話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」(表参道ヒルズ)

 時系列によるご紹介の積もりでしたが、何か因縁めいたものを感じましたので突如変更、ごめんなさい。
そのテーマは表参道ヒルズ。
明治神宮への参道に繋がる旧同潤会青山アパートの再生。
関東大震災の復興のため建築された我が国最初の鉄筋コンクリート集合住宅とか。
完成は79年前の1927年、前にもお話した霊南坂の家アントニン・レーモンド邸は1924年、最初の打放しコンクリート住宅。
相前後して建築され共に老化と時代の変革に抗しきれず惜しまれつつも解体、もの淋しい思いがしますね。
 この表参道ヒルズ、今や世界的に著名な建築家安藤忠雄先生の作品、施工は大林組。
ケヤキ並木に合わせた地下6階・地上6階、2月11日グランドオープン。
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日本を代表するファッションストリートとして若者の夢を育む。
表参道ヒルズの目玉、スパイラルスロープに展開される商業施設、人と人との交流、人と空間など表参道と解け合った高感度な雰囲気を醸し出す。
その主役の一つ打放しコンクリート。
ソフトで滑らか整然としたパネル割り、その表面は端正で日本建築の詩情を謳い表参道の歴史と文化を伝える大役を演出。
新しい空間創造の立役者。
打放しコンクリートその仕上げをお手伝いさせていただきました。
新しい形のファッション、デザイン、美術など多彩な活動の発信地。
巷は名建築として話題沸騰、感動の街並として生まれ変わった!
オープンに際して、心からお祝いを。
次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-02-27 07:26 | ブログ

第三十二話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」

 申し遅れましたが、最近それぞれの作品について
現場確認していませんので健在か否か心配、ご了承の程を。
さて、本題に戻ってアントニン・レーモンドは1924年から1970年にわたり、代表作とし7つの作品が挙げられています。
先にご紹介した霊南坂の家とリーダースダイジェストの外、下記の5つの作品です。
年代別に、1951年アメリカ大使館アパート、1956年に目黒・聖アンセルム教会、1961年群馬音楽センター、1966年神言神学校、1970年上智大学6・7号館、の5作品。
3番目のアメリカ大使館アパート、場所は六本木の丘の上の集合住宅。
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次いで、1961年の群馬音楽センターは、折板構造のダイナミックな形をした音楽堂として知られています。
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その室内と家具の設計はレーモンド夫人が担当、息の合った内外共同作業、映画・演劇は勿論のこと歌舞伎も上演出来るそうです。
先回にもお話した様に、こうした著名作品も経済合理性の犠牲となって解体されてしまったものがあるとか、誠に残念。
次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-02-20 07:28 | ブログ

第三十一話 「打放しコンクリートの日本を代表する作品とその建築家」

 アントニン・レーモンド、何度か話題にのぼりましたね。
ところで1924年から2000年までを20世紀と区切って、20世紀を代表する日本の建築家と181作品を時系列でご紹介します。
但し、分かる範囲ですので、誤っていましたら教えて下さい。
 冒頭アントニン・レーモンドが登場した訳は、1924年の作「霊南坂の家」が年代順にするとどうしても最初に出てきてしまうんです。
それだけではありません、アメリカ人ですが活動拠点を日本において立派な作品を国内に残したこと。
打放しコンクリートの先駆者として評価してあげなくては、と言う多くの建築関係者のお考えの結果ではないでしょうか。
早速少しずつ作品名、年代など、資料を元に下手なスケッチ?を入れてご紹介。
霊南坂の家は既にご紹介ずみですので省きます。
そこでリーダースダイジェスト東京支社、1951年の作品。
昭和26年55年前、戦後の日本、廃墟と化した国土!
食べもの、着るもの、住むところ、すべてが欠乏、新刊本なぞ夢の夢。
やっと立ち直って復興へのきざしが見え始めた頃、住む家は木造のバラック、当時1000円バラックとも言っていましたよ。
まだ進駐軍による統治の時代です。
突如現れた打放しコンクリートとガラスのモダンな二階建て。
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リーダースダイジェスト(月刊雑誌)。
その紙質に驚き、世界の時事話題にドキモを抜かれましたよ。
地方では部数が少なく早い者勝ち、書店に並んで買ったものです。
その日本での本拠、リーダースダイジェスト東京支社。
打放しコンクリート建築が未だ知られざる時代のこと、建築家は畏敬の眼差しで。
所は東京・竹橋・内堀り通り、今は解体されてなくなったそうです。
次回のアントニン・レーモンド(2)をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-02-13 07:33 | ブログ

第三十話 コンクリートこぼれ話 「打放しコンクリートの流れ・日本」

 目先を変えて今回は日本の打放しコンクリートのルーツ。
今までの流れは主に国内外でのこと。
(その1)打放しコンクリート生誕の歴史、(その2)対峙した打放しコンクリートの美的表現
(その3)時代に奔流された打放しコンクリートの行方、こんなことをかいつまんでお話しましたね。そこで忘れてはいけない大事なこと、そうです日本国内の打放しコンクリート。身近な国内の打放しコンクリートのルーツと携わった建築家と作品。それがどんな流れで時代を通り抜けたか、ヤッパリ知りたいですよね。
話は変わってかの有名な帝国ホテル、今は建て替えられて元の姿は全くなし。その帝国ホテルとの繋がりが日本の打放しコンクリートのストーリーの始まり。
もとの帝国ホテルは38年前(1968年)解体、その一部は明治村に移築保存されています。
今をさかのぼる1923年アメリカ人フランク・ロイド・ライトが帝国ホテル設計のため弟子アントニン・レーモンドを連れて日本へ。
思い出しました、かの巨大地震の関東大震災があった年、死者10万人の大災害でした。ご存知でしたか?そのレーモンドは日本建築の伝統に魅せられ翌年フランク・ロイド・ライトより自立。
すべての素材を生地のまま使う日本建築に共鳴、西洋の伝統や型にとらわれない打放しコンクリートの仕上げに。コンクリートの自然のままの素材感にこだわり、打放しコンクリートに詩情をみる。日本での打放しコンクリートの醸し出す風情の原点はこんなところにあるかも。ここが大 事なところかな。
 翌年、打放しコンクリートで霊南坂に自宅を建築(1924年)、82年前。これが日本で最初の打放しコンクリート建築であったこと、先回お話した通り。
ついでにもう一つの有名作品、スケッチでご紹介。(レーモンド:東京女子大)
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一方、ル・コルビュジェの打放しコンクリートは表面の荒々しさが特長。作品ノートルダム・デュ・ランシー教会はご紹介ずみ。その後ル・コルビュジェは、日本建築の詩情を身につけたレーモンドの影響を受け、1930年以降の作品は様変わりとか。
その一つ、代表作ロンシャンの礼拝堂(第二十八話)はご紹介ずみ。コンクリートの荒々しさは潜め美を見せるものに変わり端正なもの。レーモンドの影響力は大ですね。
 1950年代はこの様な打放しコンクリートにまつわる表面の仕上げ手法の流れが定まらず、その仕上げ方法はけんけんがくがくだったとのこと。当時、設計の方々の異なる意見に関係者は翻弄され苦労したそうです。
 すいません、前書きが長くなってしまって、これからが本題の日本の打放しコンクリートに携わった建築家に移ります。
 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2006-02-06 07:43 | ブログ