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第七話 (仕事探し第二弾)

二つの難題
その一
 神業の打放しコンクリート技術?によって無傷の打放しコンクリートの出来上がりが当たり前とされた時代(第六話で紹介済み)。とは、言うものの出来具合によっては、もって行き処のない自己結果責任、その無念さは胸に秘めたままだそうです。 
この立ちはだかる原則と建前、知ってか知らずか、或いは暗黙のルールか?
正々堂々とまかり通る、といった当時の流れ。
不幸にして現れた修理箇所、その無念を晴らすお助けマンと自負するが、どーも、失敗をエサにする奴と、お互い心証穏やかならずも。
そうは言っても取り壊してやり直すことを思えばはるかに合理的。
彼我の事情はザーッとこんなふうかなあ・・・・・。

その二
 そんな、こんなの事情を抱えて、表立って口には出せないゼネコン業界の雰囲気。
打放しコンクリートには大なり小なり修理ヶ所は出るものと認知しつつも対応処置なしの建前先行・・・・。
とは言うものの望みは高く“良い品質”をスローガンに、言うは易く行うは難し。
丁度、水上歩行のように、右足が沈まないうちに左足で、それを継続すれば水面を歩けるハズ、そんな理屈と同じか?
不足の事態の準備がないため無理算段。
この二つの難題解消がポイントと思いました。

 こんな難題を抱え時代背景を身に感じ存在感を意識し乍らの仕事探し。
あれもこれもうまくいかないもんだなあー、とつくづく感じました。

 仕事には賃金が・・・高い技術にはプラスアルファーが・・・、これ現代の仕組み。
不可能と考えられていたいろいろな事が、社会に有為に働くことによって存在価値が出てくる。
抱えた二つの難題も同じ事。
神業は希なこと、何事も不測の事態の想定と対応処置が大切、といったことは常識。
打放しコンクリートの難題、そうです!建前を考え直すこと。本音が常識となる。
この常識が苦難の道、この先何年かかるか。積み重ねるしかないか!
あれもこれも時間との戦い、「不遇に嘆く。」と、よく言われました。

 “石の上にも三年”とは辛抱のたとえ、悪戦苦闘の三年はおろか、6年の歳月を掛けやっと打放しコンクリート表面の仕上げ方法を完成。・・・1965年
同時に打放しコンクリートに拘わる本音に迫る。
こんなツールを引っ提げてやっと仕事にありつけた。

 かえりみれば伝統と実績が皆無と言える無手勝流の一人相撲。
長かったその心境は
“上を向いて歩こう 涙がこぼれない様に
         思い出す春の日 一人ぼっちの夜”
三振、手ぶらの帰り道、こんな心境でした。

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 時まさにベトナム戦争激化このことを思えば命に別状無し、こんな事に支えられつつその激しさは新聞で毎日報じられていました。


 次回は題して、“打放しコンクリートの知識を深める!” お楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2005-08-29 07:41 | ブログ

第六話(仕事探しの巻)

 コンクリート三つの難題、何とか実用化への問題解決はしたものの、長い年月と失敗の連続だっただけに、その喜びも一入(ひとしお)でした。
そのうれしさも束の間、地方では、打放しコンクリートは僅か、言いかえれば物件が少ないため仕事に事欠く始末。
世の中、“一難去ってまた一難”
これも人生の避けて通れない道か?
よく考えてみれば地方だから少ないだけ、大都会では両手に抱えおおせない仕事がある筈。
と、気づき暗夜の日々にパット光明がさした!とはいえ一喜一憂の日々、この先大丈夫かなあ~?こんな想いでした。

 取り敢えず、近くの都会、そうです!名古屋。
東京・大阪も考えてはみましたが、交通費と要する時間の負担が大きいなど、厳しい台所事情と経済原理からして順序を経て展開していこう!、、、と、
ごく常識的な発想でスタート。

 当時通信の横綱は固定電話、しかも市外は長距離電話、と言った時代、今の若い人には分かるかなあ~?。あとは電報と速達郵便、
小泉改革の根源はここにあったとは。
ITなど夢にも出てこなかった時代でしたから。
これは自分だけのことか。

 打放しコンクリート建築はその殆どが公共大型工事。
最近の様にブティックやオシャレな住宅に取り入れるなど全く無かった時代でした。
と言うことは、大手ゼネコン(総合建設会社)が打放しコンクリート工事の殆どを占めていました。
ここから仕事をいただくこと、言うは易く行うは難し。
何故かって言いますと無言で漂う年功序列の業界、企業規模からして比較にならない小さな我が社、こんな大きな会社が相手にしてくれるだろうかと、いつもゼネコンの玄関先で二の足を踏んでいました。
意を決して突入するも、如何せんビジネスの基本である会社の信用度、知名度、技術力など、どれをとっても不足。
そのどれもこれもが落第点!剣もホロロ、高鳴る心臓は恐怖を呼び起こし見事、敗退を噛みしめることの繰り返し。
甘かったなあ~。反省と田舎者の悲哀が一身をかけめぐる。
しかも、更に大きな衝撃をうける羽目になるとは・・・・・トホホ。
これも思ってもみなかったことの一つ。

 打放しコンクリートは、一面に於いては手探り工事、眼で見て進める仕事(これが普通)とは大きく異なることは先にお話した通り。
手探りだけに型枠で囲まれた中のコンクリートの出来具合は型枠をはずすまでは分からない。
ここが最も理解が難しいところ、何故かって!?
現実には予期しない修理が発生することは避けられない事なんですけど・・・・。
ここで更に大きな衝撃とは・・・・・・説明します!
つまり、こういう事なんです。
打放しコンクリートは修理を要する不具合ヶ所を出さないこと故に、修理代は予算として計上されません。
言いかえれば、目隠しの一発勝負でありながら完璧な打放しコンクリートであることが、求められるのです。
修理を要するものは、取り壊して再度やり直すのが原則だったそうです。
何故なら下手な施工と技術力は自分持ち、結果として不具合が出るのは「身から出た錆」。
「修理は自己責任で当然!」と、言った具合。
建前が本音に化けたとはこの事か!
面子と修理代の皆無を背負った当事者は、逃げ場なし、と言ったところ。
ない袖にすがる仕事探し。
打放しコンクリートの前途に暗雲が垂れこめた、こんな風に思えました。

 二つの難題を抱えての船出、漕ぎ着けた開発の成果も、喜びも、一挙に吹き飛んだということでした。

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 時まさに、「東京オリンピック」が開催され「新幹線」が開通、1964年、光と闇を実感!
暗い話で終わってしまいました。
次回は“仕事探し-続編”、お楽しみに!?
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by pikayoshi72 | 2005-08-22 07:34 | ブログ

第五話(わが茨の開発ストーリー)  

 コンクリートの直感的イメージ。
人間で例えれば堅物、一面においては頼りになる、
そんな感じがしますが、一方どうにも厄介な代物であったとは、、、、、。
知れば知るほど迷路に入り込んでしまったのか!
肌に触れるコンクリートの表面を直すだけの事なのに。
 何をつまらない事に失意を催しているのか、他人からみたら変人扱いされるかも、、、、、、。
いや、小泉総理のことではありませんヨ。

 三つの難題
 その一
 コンクリート本体とくっつかない修理用モルタル、縁結びは、はりつける仲人を探すこと。
昔から日本には「のり」という接着材がありました。
身近なものに木製の風呂桶や米びつなどには使われていたとの話、これがヒント、、、、思いつきました!
コンクリートを接着する材料を探せば良いだけのこと、業界の垣根は既に取り払った自由な発想、これで打開するしかないと腹をくくりました。

 ところで、ご当地浜松は、自動二輪の発祥の地、先回も話しましたよネ。
それに伴った資材のお店が沢山あります。
勿論接着材料を扱う専門店、その一つに合成樹脂を取り扱う店はありましたが、コンクリートに適したものは皆無。
考えてみれば、当時コンクリートに使う樹脂など需要は皆無でしたから無理もないと諦めかけていましたが、機械に使われている合成樹脂であればコンクリートも機械も固いことでは一緒、そこでやってみなければ分からない(遠州弁でいうと”やらまいか”精神)と、無謀にも多種多様な合成樹脂を塗りつけたり、混ぜ合わせたりしてやってみました。
これも専門知識を持たない人間のなせる技。
勿論失敗、僅かな光明が見出せれば何でも試したものでしたが、こんな初歩的で無謀な開発方法でも、実際にやってみることで得がたいノウハウが生まれ、その一部は現在に至るも大事な技術として生き続けているなど思ってもみなかったことの一つ。
 物事はどういうわけか、一つ上手くゆくと次も、、、、と、逆に裏目に出ると次も、と言った流れがあるようで、これを運・不運と決めつけるのは自分自身の心にあるのかなあ!と思ったりもしました。
何故かって!"失敗は成功のもと"こんなことわざを自分流に解釈、数々の失敗の積み重ねこそ幸運への近道だ!と気持ちを奮い立たせて来たことなど、今思うと無神経な楽観主義者だったのかなあー?と、感じています。

 解決すべき問題点
 その二。
 モルタルの色を本体と同じにすること、コンクリートの表面をよく見るとグレーしかもまだら模様を呈しています。
同じ建物であっても、その表面は微妙に色が変化しているんですよ。
”そんなにジー”と、見たことない、それが普通です。
 話を先に進めます。
 修理モルタルが乾いてしまうと色が変わってしまう、何故って?
コンクリート本体と同じ調合の修理モルタルを使ったからですよ。
同じ材料で修理すれば同じ様になる。
こんなことは子供でも分かる理屈が、コンクリートではこの道理が通らないところ。
解決方法は簡単、乾いたら同じ色になる様にセメントと砂を調合すればよい、と言ったことでほぼ上手くいきました。
これは道理が通った"押して駄目なら引いてみな"なんて演歌があったじゃないですか、あれですヨ。

 その三に移ります。
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 穴のあいたコンクリートに合成樹脂入り修理モルタル。
 その二でお話した、本体に合った色で違和感のない様に調合したモルタルで、しかも乾燥後もピッタリ合った修理跡。
これですべて良しとはいかないところに問題が、、、、何かって?
湿気の多い日や、雨に濡れたりすると何故か修理モルタルは黒ずんだり白くなったり、人間で言えば赤くなったり青くなったりというところ。
人間は自然にもとに戻りますが修理モルタルは変わったままなんです。*写真有り
これでは修理になりません、むしろ穴のありかをここぞとばかり指差している反抗者そのもの、これには閉口しました。
この解決策は道理に従い湿気や雨から修理モルタルを保護すること。
これは道理にかなった唯一のものだった、、、、かな?
 季節は折しも真夏の最中、クーラーなどありません、粗末な実験室。
扇風機が唯一暑さを凌ぐ救いの神、忘れ難き想い出の一コマ。
こんな環境でも不思議なことに一日過ぎるのが速いことに驚きました。
何故って!早く結果を出したいと夢中で、しかも焦っていましたから。
時は金なりと言うではありませんか。
勿論、工事現場を往き来しながらのこと。

 1959年の打放しコンクリート現場での切っ掛けをスタートに修理モルタルの実用化まで6年余り、こんなにかかるとは考えてもみませんでした。
唯一、止めようと思った時、一抹の可能性が思い留まらせる、こんな繰り返しでした。
打放しコンクリート表面肌を悩ませる三つの問題は、ただ、ひたすらやってみることで、何とか目処がついたかなと自己満足しているところです。

 長々とお付き合い頂き、ありがとうございました!

 次回は題して”仕事探し”、お楽しみに!
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by pikayoshi72 | 2005-08-16 08:07 | ブログ

第四話

 伝統技術の継承者、左官さん。
1959年当時は建築ブームの最中、どの分野の職人さんも引っ張り凧で、ヨン様の元祖、左官様といわれ、モテモテで修理など見向きもされない状況だったですよ。

 思い出しました、この年全国一斉にメートル法への切り替えがありましたっけ。
分かり易く、しかも生活の合理化だけでなく、国際化の幕開けの様に感じたなあ。
一般家庭では電気洗濯機、テレビ、電気冷蔵庫が台頭、三種の神器と奉られ、電化時代の花形でしたっけ。

 ところで打放しコンクリート建築の本格的登場は、大まかには戦後のこと。
今思えば不良箇所の修理方法は、左官さんの伝統技術の中には全くなかったのはあたりまえ。
何故って、打放しコンクリート建築そのものが無かったから。
歴史を学ぶ大切さを今知ったでしたよ。
頼りにした左官さんが上手に直せないことは無理ないことですよね!

 その後は解決策が何も無い手探りの毎日。
甘くみた罰か?今更泣き言いっても始まらないと鼓舞して、修理方法の挑戦の幕が切って落とされたといった悲壮な気持ちでしたっけ。
試行錯誤しつつ、焦点を打放しコンクリート素肌の復活に絞ったですよ。


 技術の伝承のない新分野と思えば、垣根はないも同然と決めて打放しコンクリートの原点であるセメントと砂からスタート。
もう一つ忘れていた大事なこと、穴のあいたコンクリートにモルタルをつめ込んでも、コンクリート本体とは縁が切れていること、見た目にはくっついている様にみえますが、実際にはついていないことがわかりました。
これは雨もりの原因となりますよ。

 このことから修理に使うモルタルは、先ず本体とくっつくこと。
モルタルの色が本体と一緒であること。
後日モルタルの色が変色しないこと。
この三つが出来ないと打放しコンクリートの素肌の復活にならないことが、ハッキリしました。
これからが茨の道の始まり。

 三つの問題
 その一、本体とくっつくモルタルであることは、当時の左官技術では出来ませんでした。
本体にくっつけるためには、本体をシゴイて表面をザラザラにしてモルタルを押し込むといった方法です。
この方法では、本体と縁が切れていますから雨が降った時、隙間に雨が滲み込んで漏水となってしまいます。

 その二、モルタルの色が本体と同じであること。
第二話でお話した様に本体と同一のセメントと砂でありながら乾いてしまうと違う色になってしまうので、修理した箇所が際立って目立ち素肌の復活とはほど遠いものとなることです。
その原因は分かりません。

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 その三、その二でお話したモルタルの色が本体と同じであることですが、乾燥後同じ色に納まったと安心していても、後日、次第に色が変わっていくことと雨に濡れることでも変色してしまうことです。
そのメカニズムは分かりませんが、この三つの難関を突破しないと、打放しコンクリート建築は素肌が仕上げ、致命的なものになりかねません。生き物のお世話をするより難しい物言わぬ個物か?

 少し専門的になり過ぎたかなあ。
しかし、コンクリートの知られざる一面とご理解していただくことと、堅固で丈夫なものと思いがちですが、こんな微妙な性質をもっていることを知ってもらい見ていただき、使っていただくと視点が少し変わってくるかも。
塗料では塗ったあと色が変わることは滅多にありません、経年劣化以外はね。

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 退屈なお話ですいません。
思い出しました!この頃、ご当地浜松では当時、かの有名な世界企業、本田技研の故本田宗一郎さんが初めて作ったポンポン(オートバイ)が登場。
旧軍隊が使っていた無線機用発電機の小型エンジンを改造し、それを自転車の三角フレームに取り付けたポンポンが市中を闊歩し、市民の羨望の的でしたよ。
ポンポンの由来はエンジンの排気音が丁度ポンポンと聞こえたことだそうです。

 次は、わが茨の開発ストーリーをお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2005-08-08 09:02 | ブログ

第三話

 穴のあいた打放しコンクリート建築、普段この段階では見ることは出来ません。
 何故って?かくしている訳ではありません。
 作業現場は殆どシートや塀が立てられて、外から見えない様な場合が多いですよ。
大きな工事になると出入口にはガードマンがいますよね、目的は中で作業する人達と周りの人々の安全と事故防止のためです。
不出来な穴のあいた打放しコンクリートをかくす為ではないことをくれぐれもお忘れなく。

 こんなお話しをすると打放しコンクリートは、すべて不良品なのか?なんてことにつながりそうですが、そこは技術者の腕のみせどころ。
そうは言っても透視出来ない手探り作業である以上、神のみが知る幻世(現世)の残された一手法とも言えるかなあ。

 何か横道へそれてしまったかな、ハンドルを元に戻して打放しコンクリートの不良品の修理に常識と理屈では通らない現代の不思議物語を聞いて下さい。

 打放しコンクリート建築現場、シートで囲われた作業場の一場面、ご想像出来ますか?型枠をはずしたところ打放し表面には不良品につながる穴(巣穴)、アバタ、そして流入生コンを邪魔した鉄筋が表面の素肌を直撃、不良品の誕生シーン。
野球で言えば 0対0 の最終回に満塁ホームランを許した敗戦投手の心境かなあ、これは現場に携わった人にしか分からない心に与える衝撃。

 今までの話は、この修理に関心をもち、何とか出来ないかなあーと、思った私の40年余り前の出来事の一こま。
これが切っ掛けになって現在があると言ったところです。
その切っ掛けで、この打放しコンクリートの不良品を修理して、本来の素肌に出来ないものか6年余り思案に明け暮れしていたんですよ。

 初期この修理に最も適した人は誰?そうです、セメントに最も親しんでいる左官屋さんですよ。
その人に頼めばいい、上手に修理してくれるから心配ご無用と対応処理に絶大な期待を持っていたですよ。
そこで登場したのが伝統技術の承継者、経験50年余りの左官さん、打放しコンクリート不良箇所の素肌の復活にかけて意気揚々の出番、これにて一件落着と相成る筈が、どっこい、そうは問屋が卸さないと言うことなんです。
その実相をお話ししましょう。

 修理の要点は、お分かりの様に繕ったところが違和感のないものにすること不良箇所を元の素肌にすることですよ。
意気揚々として取り掛かったくだんの熟練左官、修理箇所に合わせて材料を調合、無事工事完了と相成る。が、後日見るも無惨な出来栄え。
この実相をふまえ何人かの熟練左官の登場なるも全く同じこと。
打放しコンクリートの修理の不思議はここが原点ですよ。


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 つまり、生コンクリートと同じ様に調合した材料で修理するも、全く上手に出来ない。
そればかりか、不良箇所はここぞとばかり示威するごとき際だって見える修理跡。
これでは修理どころか、不良品をより強調する結果となってしまうんです。
打放しコンクリートの修理は、まさに理屈や道理ではおぼつかないことが分かったんですよ。

 物事の行きづまりには、もう一度原点に帰ることと言われますよね。
ところで生コン、やわらかなコンクリートが時間の経過を経て固くなる。
この生命の誕生、流し込みと生成課程が自然環境の影響受けて、生まれも育ちも一緒であっても、素肌の出来具合が違ったものとなってしまう不思議な代物。
人間の兄弟とあまり変わらないところが似ているなあーと、思ったですよ。と言うことが分かるまでに6年余りの歳月がかかりましたんです。
この不思議な現象が分かっているから、道が開けてきたみたい。
ふところは火の車、当然のことですよ。
失敗の連続でしたからね。

 この原点回帰で始まる打放しコンクリートの素肌にせまる難行苦行のスタート、不思議解決への遠い道程の第一歩かも。
時、1959年伊勢湾台風で死者、行方不明5000人を超える被害にあった年。台風の被害に比べれば失敗の被害は取るに足らないと思い直して続けることにしたですよ。

 次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2005-08-01 08:38 | ブログ