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第二話

 こんにちは、今日は打放しコンクリート建築についての基礎をお話しします。

 日本で最初の打放しコンクリート建築物を作った人は誰だと思います?
ヨーロッパ人でなくアメリカ人のアントニン・レーモンドさん。
作品は「霊南坂の家」1924年(大正13年)。
今から81年前、今は取り壊されてありません。
昭和天皇が結婚された年、ご存知でしたか。
その前年には関東大震災があったんですよ。
話が古すぎるかなあ。
戦後、その門下生の方々が打放しコンクリート建築を続々と全国各地に作ったといったところです。

 ごたぶんに洩れずこの地方都市にも公共建築物には打放しコンクリートだ!と押し寄せてきました。
1959年、浜松に隣接の村役場、近代化のシンボルとして、庁舎は打放しコンクリート建築。
地元建築会社では初めてのことだったそうです。

 これが打放しコンクリートとの最初の出会。
実に46年前、天皇陛下が正田美智子様と結婚された年ですよ。
今お住まいの新御所は打放しコンクリートとタイル張り。
お手伝いさせていただきました。
平成5年のことです。

 打放しコンクリートは生コンと言ってやわらかなコンクリートを建物の形状に従って作ります。
その形状を支えるものを型枠と言って、大工さんが組み立てていきます。
その型枠は殆どが木材で、流し込んだコンクリートが固まってから型枠をはずします。
これで打放しコンクリートの出来上がり。

 その型枠をはずすことによって、固まったコンクリートが現れます。
後先になってしまいましたが、型枠の中にはコンクリートを支える鉄筋が縦横に入っています。
この鉄筋をかいくぐって、生コンが入っていきます。
ところがこの鉄筋が邪魔をして、型枠内部の隅々まで生コン入って行かないことがしばしばあります。
生コンクリートが満たされない部分はコンクリートに穴があいた状態になります。

e0030813_8115189.jpg
あたりまえのことですよね。
穴のあいた建物は不良品です。
不良品は修理をしなければいけません。
型枠へ生コンを流し込む時点では、型枠の内部の状況は見ることが出来ません。
言い換えれば手探りと言ったのが打放しコンクリート建築の泣きどころかなあ。

 この様なことを頭に描いてもらって、最初に言ったこぼれ話の本題へと入っていきます。
基礎編はこれで終わり、忘れていたことを途中で思い出すことがあるかも。
次回は理屈では通らない作法に挑戦するストーリー!

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by pikayoshi72 | 2005-07-26 08:09 | ブログ

第一話

 こんにちは、今日初めてブログを立ち上げます。
 よろしくおねがいします。
 私のブログの話題はコンクリートこぼれ話、身近で知っているようで
知らないものの一つ、これを過去46年前にさかのぼって時系列に従
ってお話したいと思います。

 ところでその張本人は何歳?申し上げます、本年72歳。
「吉田 晃」こと私は浜松でコンクリート建築関連の会社を経営してい
ます。
長くやっていますと経営だけでなく、コンクリートの研究も手がけまして、
68歳で大学院へ通ってしまうという人物です。

 はじめに“こぼれ話”の舞台を簡単に説明します。
実は、コンクリートでも打放しコンクリート(建築)にまつわるお話なんですよ。
 最近、おしゃれなブティックやモダンな住宅に打放しコンクリートが使
われていますね。
何となく落ち着いた雰囲気を醸し出すところがいい。
この打放しコンクリートは、実はヨーロッパ生まれで僅か100年前に誕生。
石造よりコンクリートの方が色々な建物が作りやすいからとのこと。
初期の日本ではコンクリートの材料は安いし、仕事も大雑把でいい、
こんなところがコンクリートの取り柄だったとは分からないものですね。

 考えてみるとビルもごく最近のことですね。その一方で有名な設計者の
方々は打放しコンクリートを使っての芸術作品がいっぱい。
NHKのニュース前に時々登場する代々木体育館などその代表作。
ところが、昭和50年代には、この大雑把な仕上げの打放しコンクリート、
その粗さが嫌われて沈没。
その訳は緻密な日本民族の繊細な気質からでしょうか。

 この粗さが災いとなり、本ブログのコンクリートこぼれ話と繋がるとは、
何が基でこうなるのとは人生妙味といったところかなあ。
お話する打放しコンクリートのこぼれ話、第一話基礎編。

次回をお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2005-07-20 14:50 | ブログ