第六話(仕事探しの巻)

 コンクリート三つの難題、何とか実用化への問題解決はしたものの、長い年月と失敗の連続だっただけに、その喜びも一入(ひとしお)でした。
そのうれしさも束の間、地方では、打放しコンクリートは僅か、言いかえれば物件が少ないため仕事に事欠く始末。
世の中、“一難去ってまた一難”
これも人生の避けて通れない道か?
よく考えてみれば地方だから少ないだけ、大都会では両手に抱えおおせない仕事がある筈。
と、気づき暗夜の日々にパット光明がさした!とはいえ一喜一憂の日々、この先大丈夫かなあ~?こんな想いでした。

 取り敢えず、近くの都会、そうです!名古屋。
東京・大阪も考えてはみましたが、交通費と要する時間の負担が大きいなど、厳しい台所事情と経済原理からして順序を経て展開していこう!、、、と、
ごく常識的な発想でスタート。

 当時通信の横綱は固定電話、しかも市外は長距離電話、と言った時代、今の若い人には分かるかなあ~?。あとは電報と速達郵便、
小泉改革の根源はここにあったとは。
ITなど夢にも出てこなかった時代でしたから。
これは自分だけのことか。

 打放しコンクリート建築はその殆どが公共大型工事。
最近の様にブティックやオシャレな住宅に取り入れるなど全く無かった時代でした。
と言うことは、大手ゼネコン(総合建設会社)が打放しコンクリート工事の殆どを占めていました。
ここから仕事をいただくこと、言うは易く行うは難し。
何故かって言いますと無言で漂う年功序列の業界、企業規模からして比較にならない小さな我が社、こんな大きな会社が相手にしてくれるだろうかと、いつもゼネコンの玄関先で二の足を踏んでいました。
意を決して突入するも、如何せんビジネスの基本である会社の信用度、知名度、技術力など、どれをとっても不足。
そのどれもこれもが落第点!剣もホロロ、高鳴る心臓は恐怖を呼び起こし見事、敗退を噛みしめることの繰り返し。
甘かったなあ~。反省と田舎者の悲哀が一身をかけめぐる。
しかも、更に大きな衝撃をうける羽目になるとは・・・・・トホホ。
これも思ってもみなかったことの一つ。

 打放しコンクリートは、一面に於いては手探り工事、眼で見て進める仕事(これが普通)とは大きく異なることは先にお話した通り。
手探りだけに型枠で囲まれた中のコンクリートの出来具合は型枠をはずすまでは分からない。
ここが最も理解が難しいところ、何故かって!?
現実には予期しない修理が発生することは避けられない事なんですけど・・・・。
ここで更に大きな衝撃とは・・・・・・説明します!
つまり、こういう事なんです。
打放しコンクリートは修理を要する不具合ヶ所を出さないこと故に、修理代は予算として計上されません。
言いかえれば、目隠しの一発勝負でありながら完璧な打放しコンクリートであることが、求められるのです。
修理を要するものは、取り壊して再度やり直すのが原則だったそうです。
何故なら下手な施工と技術力は自分持ち、結果として不具合が出るのは「身から出た錆」。
「修理は自己責任で当然!」と、言った具合。
建前が本音に化けたとはこの事か!
面子と修理代の皆無を背負った当事者は、逃げ場なし、と言ったところ。
ない袖にすがる仕事探し。
打放しコンクリートの前途に暗雲が垂れこめた、こんな風に思えました。

 二つの難題を抱えての船出、漕ぎ着けた開発の成果も、喜びも、一挙に吹き飛んだということでした。

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 時まさに、「東京オリンピック」が開催され「新幹線」が開通、1964年、光と闇を実感!
暗い話で終わってしまいました。
次回は“仕事探し-続編”、お楽しみに!?
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by pikayoshi72 | 2005-08-22 07:34 | ブログ


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