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第四話

 伝統技術の継承者、左官さん。
1959年当時は建築ブームの最中、どの分野の職人さんも引っ張り凧で、ヨン様の元祖、左官様といわれ、モテモテで修理など見向きもされない状況だったですよ。

 思い出しました、この年全国一斉にメートル法への切り替えがありましたっけ。
分かり易く、しかも生活の合理化だけでなく、国際化の幕開けの様に感じたなあ。
一般家庭では電気洗濯機、テレビ、電気冷蔵庫が台頭、三種の神器と奉られ、電化時代の花形でしたっけ。

 ところで打放しコンクリート建築の本格的登場は、大まかには戦後のこと。
今思えば不良箇所の修理方法は、左官さんの伝統技術の中には全くなかったのはあたりまえ。
何故って、打放しコンクリート建築そのものが無かったから。
歴史を学ぶ大切さを今知ったでしたよ。
頼りにした左官さんが上手に直せないことは無理ないことですよね!

 その後は解決策が何も無い手探りの毎日。
甘くみた罰か?今更泣き言いっても始まらないと鼓舞して、修理方法の挑戦の幕が切って落とされたといった悲壮な気持ちでしたっけ。
試行錯誤しつつ、焦点を打放しコンクリート素肌の復活に絞ったですよ。


 技術の伝承のない新分野と思えば、垣根はないも同然と決めて打放しコンクリートの原点であるセメントと砂からスタート。
もう一つ忘れていた大事なこと、穴のあいたコンクリートにモルタルをつめ込んでも、コンクリート本体とは縁が切れていること、見た目にはくっついている様にみえますが、実際にはついていないことがわかりました。
これは雨もりの原因となりますよ。

 このことから修理に使うモルタルは、先ず本体とくっつくこと。
モルタルの色が本体と一緒であること。
後日モルタルの色が変色しないこと。
この三つが出来ないと打放しコンクリートの素肌の復活にならないことが、ハッキリしました。
これからが茨の道の始まり。

 三つの問題
 その一、本体とくっつくモルタルであることは、当時の左官技術では出来ませんでした。
本体にくっつけるためには、本体をシゴイて表面をザラザラにしてモルタルを押し込むといった方法です。
この方法では、本体と縁が切れていますから雨が降った時、隙間に雨が滲み込んで漏水となってしまいます。

 その二、モルタルの色が本体と同じであること。
第二話でお話した様に本体と同一のセメントと砂でありながら乾いてしまうと違う色になってしまうので、修理した箇所が際立って目立ち素肌の復活とはほど遠いものとなることです。
その原因は分かりません。

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 その三、その二でお話したモルタルの色が本体と同じであることですが、乾燥後同じ色に納まったと安心していても、後日、次第に色が変わっていくことと雨に濡れることでも変色してしまうことです。
そのメカニズムは分かりませんが、この三つの難関を突破しないと、打放しコンクリート建築は素肌が仕上げ、致命的なものになりかねません。生き物のお世話をするより難しい物言わぬ個物か?

 少し専門的になり過ぎたかなあ。
しかし、コンクリートの知られざる一面とご理解していただくことと、堅固で丈夫なものと思いがちですが、こんな微妙な性質をもっていることを知ってもらい見ていただき、使っていただくと視点が少し変わってくるかも。
塗料では塗ったあと色が変わることは滅多にありません、経年劣化以外はね。

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 退屈なお話ですいません。
思い出しました!この頃、ご当地浜松では当時、かの有名な世界企業、本田技研の故本田宗一郎さんが初めて作ったポンポン(オートバイ)が登場。
旧軍隊が使っていた無線機用発電機の小型エンジンを改造し、それを自転車の三角フレームに取り付けたポンポンが市中を闊歩し、市民の羨望の的でしたよ。
ポンポンの由来はエンジンの排気音が丁度ポンポンと聞こえたことだそうです。

 次は、わが茨の開発ストーリーをお楽しみに。
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by pikayoshi72 | 2005-08-08 09:02 | ブログ


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