目先を変えて今回は日本の打放しコンクリートのルーツ。
今までの流れは主に国内外でのこと。 (その1)打放しコンクリート生誕の歴史、(その2)対峙した打放しコンクリートの美的表現 (その3)時代に奔流された打放しコンクリートの行方、こんなことをかいつまんでお話しましたね。そこで忘れてはいけない大事なこと、そうです日本国内の打放しコンクリート。身近な国内の打放しコンクリートのルーツと携わった建築家と作品。それがどんな流れで時代を通り抜けたか、ヤッパリ知りたいですよね。 話は変わってかの有名な帝国ホテル、今は建て替えられて元の姿は全くなし。その帝国ホテルとの繋がりが日本の打放しコンクリートのストーリーの始まり。 もとの帝国ホテルは38年前(1968年)解体、その一部は明治村に移築保存されています。 今をさかのぼる1923年アメリカ人フランク・ロイド・ライトが帝国ホテル設計のため弟子アントニン・レーモンドを連れて日本へ。 思い出しました、かの巨大地震の関東大震災があった年、死者10万人の大災害でした。ご存知でしたか?そのレーモンドは日本建築の伝統に魅せられ翌年フランク・ロイド・ライトより自立。 すべての素材を生地のまま使う日本建築に共鳴、西洋の伝統や型にとらわれない打放しコンクリートの仕上げに。コンクリートの自然のままの素材感にこだわり、打放しコンクリートに詩情をみる。日本での打放しコンクリートの醸し出す風情の原点はこんなところにあるかも。ここが大 事なところかな。 翌年、打放しコンクリートで霊南坂に自宅を建築(1924年)、82年前。これが日本で最初の打放しコンクリート建築であったこと、先回お話した通り。 ついでにもう一つの有名作品、スケッチでご紹介。(レーモンド:東京女子大) 一方、ル・コルビュジェの打放しコンクリートは表面の荒々しさが特長。作品ノートルダム・デュ・ランシー教会はご紹介ずみ。その後ル・コルビュジェは、日本建築の詩情を身につけたレーモンドの影響を受け、1930年以降の作品は様変わりとか。 その一つ、代表作ロンシャンの礼拝堂(第二十八話)はご紹介ずみ。コンクリートの荒々しさは潜め美を見せるものに変わり端正なもの。レーモンドの影響力は大ですね。 1950年代はこの様な打放しコンクリートにまつわる表面の仕上げ手法の流れが定まらず、その仕上げ方法はけんけんがくがくだったとのこと。当時、設計の方々の異なる意見に関係者は翻弄され苦労したそうです。 すいません、前書きが長くなってしまって、これからが本題の日本の打放しコンクリートに携わった建築家に移ります。 次回をお楽しみに。
by pikayoshi72
| 2006-02-06 07:43
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